大膳崩(だいぜんくずれ)
 志波(しわ:福岡県朝倉郡杷木町の「までら山」の麓にある集落)の古老の話によると、志波には、その昔、大規模な崖崩れや山崩れなどの災害が、三度もあったという。
 一つは「烏山崩(からすやまくずれ)」、もう一つは千代島の長者一族が、突然の大雨による大洪水で、筑後川の藻屑になったという「千代島崩れ」、それと、もう一つは、今からお話しする「大膳崩れ」である。

 栗山 大膳(くりやま だいぜん)は、黒田藩の創立に大変功労のあった栗山 備後利安(くりやま びんごとしやす)の長男で、父の利安が隠居した後は、黒田藩の主席家老であった。
 大膳は福岡城内に邸宅をもっていたが、志波の「までら山」の麓の屋敷で過ごす日も多かった。
 あるとき、志波の老人たちが挨拶に来て、次のように申し出た。 「この志波の高山(こうやま)に、一つの池がありまして、いつも満々と水を湛えております。 ところが、近ごろ大変困ったことが度々起こるようになったのでございます。と申しますのは、いつの頃からかはよく分かりませんが、この池にとても年をとったと思われる大亀が住みつくようになり、池のそばを通る人を襲って、害を及ぼすようになりました。 毎年、かなりの犠牲者も出ています。
 この道は、日田に通じるたった一つの道で、他に代わりの道はございません。そのために、危ないことは知っていても、どうしても通らなければならないのでございます。殿様のお力で、あの大亀を退治していただけたら、領民の喜びは、たいへんなものと存じます。」
 長老たちの話を聞いていた大膳は、大きくうなずいた。
 それから数日後、久喜宮(くぐみや)に住んでいる家臣からの招きを受けた大膳は、午後から三人の供を連れて屋敷を出た。五月の空はからりと晴れて、絶好の外出日和であった。
 屋敷からおよそ半道(はんみち)ほどの所にある高山の池にさしかかった時である。
 「殿、あそこに大亀が・・・・・。」
 供の者が緊張した声で指さす方を見ると、この好天気に気がゆるんだのか、池のなかほどにある岩に上がって、ゆったりと休んでいる大亀の姿が見えた。大膳は、供の者から鉄砲を受けとり、ゆっくりと大亀の首筋に狙いをつけた。
 大膳は、その頃、黒田藩の中で、鉄砲にかけては、彼の右に出る者はいないと言われたほどの名手であった。
 「ズドーン」という轟音とともに、首を撃ち抜かれた大亀は、岩の上から池の中へ、もんどりうって落ちていった。
 間もなく、池の中から血がぶくぶくとわき上がり、水面は大亀の血で真っ赤に染まった。
 と、突然、今まで雲一つない五月晴れだった空が、真っ黒い雲におおわれたかと思う間もなく、大粒の雨が降りだして、どこに何があるのか、方角さえも全くわからぬ程の大雨になった。
 池の近くを流れている千歳川(現・筑後川)は、たちまち増水して、もの凄い勢いで流れはじめた。大膳たちはどこへ行こうにも、全く動けない状態になってしまった。
 志波の方でも洪水が起こり、あっちこっちで山や道が崩れ、大きな木が次々に根こそぎになって流れ出した。また、人家も崩れた土砂に埋もれたり流されはじめた。
 村人たちは、全く突然の出来事に、何も持ち出すこともできず、ただ避難するのがやっとのことであった。大膳と供の者は、運よく難を逃れて、命からがら久喜宮の家臣の家にたどり着くことができた。
 ところで、この時の大雨や大洪水は、志波の辺りの一部だけで、川向こうの筑後の人達は、川岸に集まって、こちらの様子を不思議そうに眺めていたと伝えられている。
 栗山大膳は、池の側にある大楠に登って大亀を撃ったと言われているが、現在の国道386号線から、旧道に入った所にある「大楠様」また「大膳楠」と呼ばれている楠の木がそれであるという。 また、志波の円清寺(えんせいじ)に、ある人が寄贈したという大きな亀の甲羅があるが、それが、栗山大膳が退治した大亀のものであると言う人もいる。

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