杷木地方の民話:長厳塚(ちょうごんつか)


今からおよそ四百年ぐらい前のことである。杷木に、どこからともなく、一人のお坊さんがやって来た。長い旅をしていたらしく、着物も履物も、よれよれであった。 このお坊さんの名は長厳といって、はっきりしたことはわからないが、遠く離れた奥州の出身で、全国六十六ヵ所の霊場に、法華経を一部ずつ納めながら巡礼、修行しているお坊さんということであった。
長厳は、その六十六ヶ所を全部巡拝し、修行が終わったので、後ヶ迫(うしろがさこ=現在の東林田)という所に小さな家を建て、そのひと隅に、全国をまわるときに背負っていた「阿弥陀如来」の木像を安置して、毎日お念仏を唱えながら暮らしていた。
さて、この時代、筑前の国から、豊後の日田に行く道は、現在の下池田から上池田の公民館の付近を通り、西林田の「寺の坂」あたりから森の本を抜け、東林田を通って赤谷川を渡り、林田の鵜ノ木山の南側を筑後川に沿って、穂坂に通じる小さな道であった。ところで、この鵜ノ木山の所の道は、せまいうえに、すぐ下には渦を巻きながらものすごい勢いで筑後川が流れているのである。だから、そこを通る人は足を踏み外さないように、恐る恐る通っていた。それでも毎年、何人もの通行人が崖から落ちて、溺れ死んだり、行方がわからなくなったりしていた。
このありさまを知った長厳は、何とかして人々の難儀を救おうと思っていた。
ある日、長厳は村長の所に行って次のように言った。
「みんなにぜひ話したいことがある。明後日の未(ひつじ)の刻(午後2時ごろ)に村の広場に集まってくれるよう、村人たちに伝えてもらえないだろうか。」
長厳の頼みを受けた村長は、村人一人ひとりに、このことを伝えてまわった。
それから二日たち、集まって来た村人たちに向かって、長厳はおもむろに語りかけた。
「私は年老いた身であり、もうそう長くは生きていられないと思う。長い間の念願だった全国六十六ヶ所巡拝、納経も成就して、もうこの世に何も思い残すことはない。だから私は最後の仕事として、自分の命を投げうって、鵜の木の道を作りかえ、人々の難儀を取りのぞこうと思う。
この願いがかなえられた時、新しい道はきっと私の墓の上を通ることになるであろう。そのときは、私の墓をほかに移してくれるように。
なお、私は死んだ後、肥後の国の主として生まれ変わるであろう。
長厳の話をじっと聞いていた村人たちは、大変驚き、口々に思い止どまるようにお願いしたが、堅い決意を示す長厳の凛とした声に、ただ深く頭を下げるばかりであった。
いよいよ長厳が、村人たちの掘った深い穴の中に入る日が来た。 慶長4年(四百年ほど前)旧暦の十月十八日。その日は朝から冷たい風が吹いていた。
白装束姿の長厳は、首に数珠をかけ、手に鉦(かね)を持ち、村人たちが作った小さな木の箱の中に、静かに座った。箱の中には、水の入った竹筒があるだけで、隅の方に、空気が通るように節をくり抜いた竹がとりつけてあった。
やがて、近郷近在から集って来た人たちの見守る中を、長厳の入った箱は、目にいっぱい涙をためた村人たちの手で、静かに穴の底へ降ろされた。
村人たちは流れる涙をふきもせず、念仏を唱えながら土をかけた。後にはただ一本の竹筒だけが地上に出ているだけであった。この竹筒を通して、長厳のおだやかな読経の声と鉦の音が聞こえてきた。
その日から、村人たちは毎日代わるがわるやってきては、竹の筒に耳をつけて、長厳の読経の声が聞こえると、ほっとして、その声に合わせて、一緒に念仏を唱えるのであった。でも、日が経つにつれて、竹筒から聞こえてくる読経の声と鉦の音は、だんだん細くなり、切れぎれになっていった。そして二十一日目、とうとう何も聞こえなくなってしまった。長厳は文字どおり成仏したのであった。
村人たちは、人々を救うために命を捧げた長厳を弔うために、そこに、心を込めて塚を作った。
その翌年の慶長5年、黒田長政が筑前の国主となると、長厳の言い残したとおり、ここの道が、あまりにも危険なため、作りかえることになった。そして新しい道は、やはり長厳の言葉どおり、この塚の上を通ることになったのである。
村人たちは、長厳の遺言に従って、道の上の山を削って、そこに墓を移し、小さなお社を建ててねんごろにお祀りした。
それから長い間、線香の煙の絶えることはなかった。
今でも地元の人達は、十月十八日を、「お長厳様(ちょごんさま)の日」としてお祭りを続けている。
なお、東林田の、ある家に残っていた古い記録に、次のようなことが書かれていたという。
「長厳入定(出家した人が死ぬこと)して数年後、肥後の国主に若君誕生するも、その額に《長》の字くっきりと現る。国主大いに驚けども、いかんともなし難し。その折り『筑前の国・林田村に《長厳塚》というものあり。その土をかけて洗えば、額の字は消滅すべし』との話あるを聞きて、土を取りに来た者あり」と。
現在の国道386号線を日田へ向かって行く途中の、林田と穂坂の間の峠、いわゆる「叫(おら)び坂」のすぐ左上を旧道が通っている。長厳のお墓はそこにあったが、新しい道が作られるために、さらにその上に移されたということである。
そこには、現在も小さなお社があり、お賽銭やお花などが上がっているのを見ることがある。

<長厳社>
人々が安心して通れる道を作るために命を捧げた長厳をお祀りしたお社。
このお社は、平成3年9月、この地方を直撃した二つの台風のために大破したが、地元の人たちの手で立派に復元された。

終わり