ケネディ大統領暗殺

暗殺直前のケネディ大統領
1963年(昭和38年)11月22日、遊説先のテキサス州ダラスで、暗殺される直前のケネディ大統領(左)。
その右は、ジャクリーン夫人とコナリー州知事。
この後のパレード中に、大統領はライフルで狙撃され死亡、知事も負傷した。

 ジョン・F・ケネディ第35代米大統領は1963年(昭和38年)11月22日、遊説先のテキサス州ダラス市内をオープンカーでパレード中、道路わきのビルの6階から狙撃されたライフル銃の弾丸を頭部に受け、収容先の病院で死亡した。46歳だった。同乗のコナリー・テキサス州知事も背中に重傷を負った。

 容疑者として逮捕されたリー・ハーベー・オズワルド(24)はカストロ・キューバ首相の支持者といわれ、1959年ソ連に旅行者として滞在中、米国の市民権を放棄し、ソ連人女性と結婚、前年米国に戻ったばかりだった。しかし、このオズワルドもその後別の男に射殺され、暗殺をめぐる謀略説もからみ、真相はナゾのままである。

 ケネディ大統領の急死により、ジョンソン副大統領が大統領に就任、宣誓式はダラス空港の大統領専用機内で行われた。

 史上最年少の米大統領として若さと決断力を期待されたケネディは、在任3年足らずの間に、ベルリン問題、キューバ危機、核実験停止などをめぐってフルシチョフ・ソ連首相とことごとく対立したが、米ソを徐々に緊張緩和への軌道に乗せようとする矢先の悲劇的な死は、米国と世界に大きな衝撃を与えた。またその後のケネディ一族の相次ぐ不慮の死や不祥事にまつわる“神話”も注目の的となった。