宝珠山村(ほうしゅやまむら)


(岩屋神社)

 朝倉郡宝珠山村は朝倉郡の東端にあって、大分県日田市と接し、北は釈迦ケ岳(844m)、大日ケ岳(830m)を境にして田川郡添田町と接しており、同山地から発して筑後川に注ぐ宝珠山川と大肥川(鼓川)の流域にある山間の農山村である。村域の大部分は山林で、農地は約9%に過ぎず、冬季は県下でも有数の降雪地域である。

 宝珠山村は、明治29年に朝倉郡となるまでは上座郡に属し福岡藩領であったが、九州の修験道の中心地、英彦山に近接していることから修験道との関わりが深く、同村の略全域が英彦山権現の神領であった。

 村内の岩屋にある岩屋神社(岩屋権現)の社伝「岩屋神社来歴略記」によると、継体天皇25年に古代中国、後魏の善正上人が来朝して彦山を開創し、翌年、宝珠山に来て宝泉寺大宝院を開基したとあり、修験道の開祖・役小角(えんのづぬ)も岩屋に入峰したと伝えられている。当地は胎蔵界(英彦山)から金剛界(宝満山)までの峰入りコース、即ち、行者道に当たるので、山伏の修行などに関連した伝承やそれに因む地名が見られる。
 例えば、宝珠山地区の「大行司」という地名は、産土神として鎮座する大行事社(高木神社)に由来するものである。この大行事社は方七里といわれた英彦山の神領地内48ヵ所に祀られたものの一つである。

 宝珠山と言う村名も岩屋権現に関係している。岩屋権現は山岳信仰の修験道として最も古いものであるが、拝殿にご神体の宝珠石(安山岩質集塊岩。地元民は星の玉と呼ぶ。県の天然記念物)という岩が鎮座しており、村名はこの星の玉(珠)に由来している。閏年の9月(現在は10月)19日に村民が12枚の薦(12ヵ月に因む)をもって、この岩に着せ替えをする習しがあるが、着せ替えを行なう者は目隠しをして行なうので、星の玉を拝んだ人は古来からいないという大変神秘的なものである(「宝珠山村誌資料」)。
 岩屋神社の境内には至って簡素な社殿の熊野神社があるが、何れも英彦山修験の遺構として国の重要文化財に指定されている。岩屋地区に大岩と呼ばれるものがある。岩屋神社の神域となっている権現岩(54m)を初め、熊野岩、重ね岩、貝吹岩、鳥帽子岩、見晴岩、馬の首根岩と7ヵ所あり、安山岩質の集塊岩が直立し節理が幾条もの列を成した奇岩怪石で、その景観は一見に値する。

 明治22年4月1日、宝珠山村と福井村が合併して新しい宝珠山村が成立した。村名は岩屋神社のご神体・宝珠石に因んで付けられた旧宝珠山村の名を継承したものである。

 この山間の村にかっては炭鉱が存在した。
 明治37年頃から同村大字福井(旧:福井村)に、土師炭鉱と長者原炭鉱が小規模な採炭を行なっていたが、明治45年に飯塚の炭鉱主・伊藤伝右衛門が買収し、宝珠山炭鉱として本格的に開発、坑口を増やした。
 その後、昭和15年に経営者が代わり、更に戦後の昭和26年、日本炭業株式会社が買収し、日炭宝珠山鉱業所として操業、従業員600人余り、月産7500トンを出炭していた。しかしながら、炭界不況により昭和38年、閉山した。

 昭和12年に国鉄・日田・彦山線の一部(日田〜宝珠山)が開通、昭和21年に大行司まで延伸し、昭和30年に釈迦ケ岳トンネルが完成。翌年、日田・彦山線が全線開通して、筑前岩屋駅が開業し、交通の便が大変良くなり、石炭産業にも大きく貢献した。
 炭鉱最盛時の昭和25年には約6300人(約1200世帯)まで膨れ上がった人口は、閉山とともに急速に過疎化が進み、今は炭鉱の面影は殆ど見られず、棚田の美しい静かな農山村である。