八尋 不二


 (やひろ・ふじ)
シナリオ作家
  1904年、福岡県朝倉郡夜須町の生まれ

 映画界にあって数多くの名作を残す。

 代表作に「花の白虎隊」「千姫御殿」「血槍富士」「日蓮と蒙古大襲来」「忠臣蔵」「釈迦」「反逆児」「秦・始皇帝」、
 著書に「百八人の侍」「時代映画と五十年」「京おんなの足あと」「飛鳥の王の王」などがある。

 私(管理人)が八尋氏を最初に知ったのは21歳(1976年)の時で、彼の著書「卑弥呼の末裔」を購入して読んだのが
きっかけである。
 当時、「卑弥呼の末裔」を購入した理由は、父の薦めで盲目の作家「宮崎康平」著の「まぼろしの邪馬台国」を読んで、
中学生(小学生?)の頃から「邪馬台国」や「卑弥呼」に強い興味を持っていたためである。

 その時、先ず「変わった作者名だなぁ」と思ったのを憶えている。本を読み進める内に、『この情景は何処かで見た記憶
があるぞ!』、『あっ、何時も心の何処かに抱いている「ふるさと朝倉」の情景だ!』、そして、著者の略歴を見てみると、
福岡の出身だった。あ〜、やっぱり! その文章の情景は、住んでいる者、住んでいた者しか感じることの出来ない感覚
だった。その文章は、やっぱり、邪馬台国は朝倉にあったんだと感覚的に確信を強めるものだった。

 こういう事があって、八尋氏には強い興味を抱いていたのだが、遂、最近まで、私が小さい頃に胸を高鳴らせて見た
日本映画の殆どを手掛けていたシナリオ作家だとは、つゆ知らなかった。

 追記:八尋氏については、インターネットで日本映画、映画をキーに検索すれば、直ぐに結果がでてきます。(為念)


以下は、氏の著書「卑弥呼の末裔」(文庫本版)のあとがきである。

 南国島原の盲目詩人宮崎康平君が『まぼろしの邪馬台国』の名著を刊行して、邪馬台国ブームを巻き起こし、女王卑弥呼
のロマンの美を蘇らせた時、僕は松本清張や森繁久弥と共にその出版祝賀会に列席したものだが、顧みれば、それは昭和
四十二年のことで、十五、六年昔の話である。 にもかかわらずブームはさらに去ろうとせず、野火の如く燃え拡がって、僕の
身辺にまで火の粉を降らす勢いとなって来た。 そのうちに有名な古代史学者が「卑弥呼は神功皇后である」と言い出して、
さらに「その墓は朝倉の夜須である」と宣言し、その墓の所有者までも指摘したので、大変な騒ぎになった。 その所有者が
ナンと僕の従弟だったのである。 事実は小説よりも奇也! で。 あっといういう間に、僕はこの騒ぎの渦の中に飲み込まれ
てしまったのである。 しかも孝か不幸か、僕には卑弥呼の面影を偲ばせるような楚々たる美人のヒロインが縁戚にいたので、
周辺からも友人・知己からも勧められ、この「卑弥呼の末裔」の執筆をせざるを得ぬ成行きとなって来た。
 大体、九州の北西部、西鉄沿線は古墳の宝庫であって、線路を延長したり、トンネルを掘ったりすれば、必ず古墳にぶつかる
ところなのだ。 小学校の頃から、こういう世界に育った僕としては、ちょっとタイム・トンネルを覗いてみれば、そこにはまぼろし
の卑弥呼の姿が彷彿し、眠れば美姫の囁きに目覚めるという有様で、遂に執筆と腹をすえたわけである。
 いずれにせよ、九州の博多は、金印の出現した志賀島の主である。 次回は金印と筑紫琴の美姫とをタイム・マシンに乗せて
みるつもりである。

           昭和五十八年 −−京の葵祭の日に−−
                                                                    八尋 不二

−管理人・補記−(平成十五年五月三十一日)
 このあとがきは、やっと熊本の古本屋から手に入れた文庫本(昔買ったのはハードカバー)の「卑弥呼の末裔」から引用したが、
私も今回初めて読んだ。その背景に宮崎康平氏の「まぼろしの邪馬台国」があったとは、うーん! 卑弥呼の・・・・・・・・・・・・・