ふるさとの「地名の由来」
(朝倉市・朝倉郡)


朝倉市・朝倉郡は、古代から筑前国15郡の内の「夜須」・「上座」・「下座」の3郡からなっていた。
『和名抄(わみょうしょう)』に下座を下都安佐久良(しもつあさくら)、『延喜式』に上座を上都安佐久良(かみつあさくら)と記している。
夜須郡は現在の朝倉郡筑前町夜須地区三輪地区に、下座郡は朝倉市甘木地区に、上座郡は朝倉市朝倉地区杷木地区および朝倉郡東峰村小石原地区宝珠山地区に、略当たる。
明治29年4月1日、夜須・下座・上座の三郡が合併して朝倉郡となったが、下座・上座の両郡は元々は朝倉評(コオリ・・・郡())一つを成していたものである。
7世紀末期に上下に分割され、「カミツアサクラ」、「シモツアサクラ」となり、和銅6年(713年)、郡名を二字表記して下座・上座となったものと考えられている。
明治29年に三郡合併したとき新郡名を朝倉郡としたのは、古代の郡名をとって命名されたものである。

註:評(郡)
7世紀の初頭前後の日本列島には、主要地域に全部で百二十程のクニ(国)という行政単位があり、夫々のクニを支配するクニノミヤツコ(国造)とよばれる行政官僚が任命されていた。ところが、7世紀の半ば、孝徳天皇の時代になって、これらのクニを分割、或いは統合してコオリ(評)とよばれる新しい行政単位が創出された。これらのコオリは地元の複数の有力者の中から慎重な選考の結果任命されたコオリノミヤツコ(評造)やコオリノカミ(評督)などが、その支配にあたった。やがて、701年になって大宝律令が施行されるに伴い、評は郡と改められた。但し、読み方は同じくコオリであった。

新<−−地名の変遷−−>旧
市町村合併後 市町村合併前 明治29年
(3郡合併)
和銅6年〜明治29年の3郡合併以前 古代〜和銅6年
朝倉郡筑前町 朝倉郡夜須町 朝倉郡 夜須郡 安(郡)
朝倉郡三輪町
朝倉市2006.03.20〜 甘木市 下座郡(下都安佐久良・シモツアサクラ) 安佐久良(郡)
朝倉郡朝倉町 上座郡(上都安佐久良・カミツアサクラ)
朝倉郡杷木町
朝倉郡東峰村 朝倉郡宝珠山村
朝倉郡小石原村
註:各市町村(今般の市町村合併前)の地名の由来については、上表の各市町村名をクリックして下さい。