ふるさと紹介「甘木・朝倉」地域)


甘木・朝倉」地域は福岡県のほぼ中央部に位置し、甘木市、朝倉郡(朝倉町杷木町三輪町夜須町小石原村宝珠山村)の1市4町2村で構成される地域です。

面積は約366平方キロメートル、人口は約95,000人です。土地は筑後平野に属し(補足)、尚かつ九州一の大河筑後川の通り道にもなっており、肥沃な土壌と豊かな水に恵まれた、農業が盛んな地方です。
補足:地域の呼称としては「筑前(ちくぜん)」です(為念)。

では何故、「甘木・朝倉」地域と云うのでしょうか?
その理由は、次の通りです。

甘木・朝倉」地域は、古代から筑前国15郡の内の「夜須」・「上座」・「下座」の3郡からなっていた。
和名抄(註1)』に下座を下都安佐久良(しもつあさくら)、『延喜式(註2)』に上座を上都安佐久良(かみつあさくら)と記している。
夜須郡は現在の夜須町と三輪町に、下座郡は甘木市に、上座郡は朝倉町・杷木町・小石原村・宝珠山村に、略当たる。
明治29年4月1日、夜須・下座・上座の三郡が合併して朝倉郡となったが、下座・上座の両郡は元々は朝倉
評(コオリ・・・郡(註3))一つを成していたものである。
7世紀末期に上下に分割され、「カミツアサクラ」、「シモツアサクラ」となり、和銅6年(713年)、郡名を二字表記して下座・上座となったものと考えられている。
明治29年に三郡合併したとき新郡名を
朝倉郡としたのは、古代の郡名をとって命名されたものである。

註1:和名抄(わみょうしょう)
 辞書。
 源順著。
 醍醐天皇皇女勤子内親王の命で撰進。
 承平年間(931-938)の成立。
 10巻本と20巻本がある。
 10巻本は約2500の漢語を天地・人倫など24部128門に意義分類し、主に漢籍から引用して語釈を示し、あわせて音注と万葉仮名和訓を付する。
 20巻本は、さらに薬名・官職名、日本の国郡郷駅などの地名を加え、全体を32部249門に分類する。
 「倭名類聚鈔(わみようるいじゆしよう)」の略。
 「倭名鈔」ともいう。
註2:延喜式(えんぎしき)
 平安中期の律令の施行細則。
 50巻からなる。
 905年(延喜5)藤原時平らが醍醐天皇の命により編纂を始め、時平の死後、藤原忠平らにより927年完成。
 施行は967年。
 弘仁式・貞観式を踏まえて編まれたもので、後の律令政治の基本法となった。
註3:評(=郡・・コオリ)

 7世紀の初頭前後の日本列島には、主要地域に全部で百二十程のクニ(国)という行政単位があり、夫々のクニを支配するクニノミヤツコ(国造)とよばれる行政官僚が任命されていた。
 ところが、7世紀の半ば、孝徳天皇の時代になって、これらのクニを分割、或いは統合してコオリ(評)とよばれる新しい行政単位が創出された。
これらのコオリは地元の複数の有力者の中から慎重な選考の結果任命されたコオリノミヤツコ(評造)やコオリノカミ(評督)などが、その支配にあたった。
 やがて、701年になって大宝律令が施行されるに伴い、評は郡と改められた。但し、読み方は同じくコオリであった。


新<−−地名の変遷−−>旧
現在 明治29年
(3郡合併)
和銅6年〜明治29年の3郡合併以前 古代〜和銅6年
市町村合併後 市町村合併前
朝倉郡筑前町 朝倉郡夜須町 朝倉郡 夜須郡 安(郡)
朝倉郡三輪町
朝倉市 甘木市 下座郡(下都安佐久良・シモツアサクラ) 安佐久良(郡)
朝倉郡朝倉町 上座郡(上都安佐久良・カミツアサクラ)
朝倉郡杷木町
朝倉郡東峰村 朝倉郡宝珠山村
朝倉郡小石原村

以上で解ったように、甘木朝倉は元々ひとつの地域なんですよね!
それで、現在でも地名は変わったものの、地元では一つの地域として認識されていて、「
甘木・朝倉」地域と呼称されているのです。

朝倉、夜須、三輪、甘木などの各地名の由来については、「1市4町2村の地名の由来」を見て下さい。