筑前秋月と歴史浪漫


秋月の歴史
黒田氏の時代(1600年〜1877年)
西暦 年号 藩主 主な秋月史
1600 慶長 5
黒田長政は叔父黒田図書助直之(*)を秋月に配備する。

*熱烈なキリシタンで名をミゲル惣右衛門と称した。

1602 慶長 7 明石掃部守重(ジョアン)が三百名のキリシタンと共に秋月に亡命する。
1607 慶長12 城内に天主堂(*)が建つ。
*1988年、秋月城址よりキリシタン瓦が出土している。
1609 慶長14 2月3日:ミゲル惣右衛門が静かに昇天する。(46才)
1624 寛永 1 長興 黒田長政の遺命により筑前の内5万石を分領し、三男・長興(秋月藩・初代藩主)が秋月城に入る

祈願所として天台宗日照院を創建する。(開山:快円法印)

1626 寛永 3 秋月八幡宮を造営する。
1628 寛永 5 二番家老堀兵右ェ門が退去する。(長興19才の時。)
1635 寛永12 生母大凉院殿の菩提寺として、大凉寺を建立する。寺号を秋月山浄仙院大凉寺とする。
1638 寛永15 徳川幕府より鎖国令が出る。

黒田長興2500余の軍勢を率いて島原の愿古城攻囲戦に参加して殊勲をたてる。
   戦死者32人、負傷者341人

1647 正保 4 父・黒田長政の菩提寺として古心寺を建立する。

開山:江月、開基:江雪(初代住職)

その他の寺院
 長生寺(1600)     本証寺(1624)
 淨覚寺(1641)     西福寺(1618) 廃寺
 西念寺(1587)     本覚寺(1950)

1652 承応 1 貝原東軒(貝原益軒の夫人)秋月に生まれる。
1665 寛文 5 黒田長興江戸芝芝亭邸にて没する。(56才)
長重(長興の二男)が封を継ぐ。
1680 延宝 8 長重 大飢饉で餓死するものが多くでた。
1683 天和 3 野鳥川筋堤防が決壊し大洪水となる。
1686 貞享 3 八丁口より失火大火事となる。   517焼失
1699 元禄12 大火事がある。
1702 元禄15 台風・洪水がある。 田畑損亡:13800石余、潰家:1510軒
1704 宝永 1 はじめて藩札が発行される。
1706 宝永 3 台風・洪水がある。 田畑損亡 4160石余 潰家 711軒
1710 宝永 7 黒田長重大掛かりな鹿狩りの翌夜突然発病する。(52才)
長軌(ながのり 長重の長男)が封を継ぐ。
1711 正徳 1 大旱魃となる。    田畑損亡:16875石余
1713 正徳 3 長軌 貝原東軒逝去する。(62才) 墓は福岡県今川二丁目金竜寺にある。
1714 正徳 4 貝原益軒84才の老齢で夫人の後を追うようにして往生をとげる。
大火事がおきる。   86軒焼失。
1715 正徳 5 黒田長軌治藩6年にして没する。(30才)
長貞(母が長興の娘)が封を継ぐ。
1721 享保 6 長貞 種痘が大流行する。
1728 享保13 大旱魃となる。
1732 享保17 大飢饉がおきる。  飢餓者:2511人
大火事がおきる。 
1737 天文 2 島原の陣百年祭が行われる。
1747 延享 4 男子は振袖をやめて筒袖を着はじめる。
1754 宝暦 4 黒田長貞没する。(61才)
1755 宝暦 5 長邦 洪水・虫害・台風に悩まされる。
長邦(長貞の長男)が封を継ぐ。
1758 宝暦 8 大洪水となる。
1762 宝暦12 黒田長邦が人生これからという41才で没する。
長恵(ながよし 長邦の長男)が封を継ぐ。

旱魃・大雨に悩まされる。
1768 明和 5 長恵 美濃の国の川浚の役を仰せつかる。
1774 安永 3 黒田長恵(ながよし)21才の若さで病死する。
長堅(母が長邦の娘)が封を継ぐ。
1775 安永 4 長堅 藩学:野鳥新小路に稽古亭を創立し、頭取を遠山半外、愿百助に仰せつかれる。
1776 安永 5 大洪水がある。 田畑損亡:111620石余 
1784 天明 4 藩学を拡張して稽古館と改称する。
1785 天明 5 黒田長堅のの喪を発する。
黒田長舒(ながのぶ)が封を継ぐ。(黒田長貞の曾孫

   日向高鍋藩主秋月種頴(たねひで、上杉鷹山の兄)の二男で、秋月種頴の母が黒田長貞の娘。
   秋月氏は黒田氏の前まで筑前国・秋月の地を治めていた
1786 天明 6 長舒 大旱魃・蝗害等がある。
1787 天明 7 愿古拠が稽古館の訓導となる。
1789 寛政 1 藩学「稽古館」が整備される。
産子養育の定書ができる。
1791 寛政 3 外国船打ち払いの令がでる。
1792 寛政 4 露使ラックスマンが根室に来る。
1793 寛政 5
1796 寛政 8 黄金川に自生する川苔で寿泉苔(紫黄苔)の製造を始める。
1797 寛政 9 櫨植樹櫨畑という1村ができる。(現在の甘木市三奈木町の一部)

この頃から秋月和紙の製造が奨励される。
   愿古拠が産業の振興に力を入れ後に采蘋は、自ら飼育製糸機織りを行う。

1798 寛政10 本居宣長が古事記伝を完成する。
1802 享和 2 陶山を野鳥村に開く。
10年にして窯場を閉鎖する。
1804 文化 1 露使レザノフが長崎に来る。
1806 文化 3 大火事がある。  163軒焼失 稽古館が類焼する。
1808 文化 5 英国船が長崎に来る。
黒田長舒が没し、黒田長韶(ながつぐ 長舒の二男)が封を継ぎ、長崎警備を命ぜられる。
1808 文化 5 長韶 斎藤秋園が秋月藩のお抱え絵師となる。
1810 文化 7 2回目の眼鏡橋が落成する。
1811 文化 8 宮崎織部が本藩に還される。
1814 文化12 福岡の亀井南冥が死去する。
1816 文化13 4年間閉鎖されていた稽古館が再開される。
1819 文政 2 ひろ久葛の製造が始まる。
1820 文政 3 土井政就、大倉種周が秋月領内の地図を作り始める。
1824 文政 7 男女石に荒川井手ができる。
1827 文政10 秋月藩な偉大なる儒学者愿古拠が死去する(61才) 西念寺に葬られる。
1828 文政11 大洪水が起こり荒川井手が崩壊する。
大暴風雨がある。
1829 文政12 大火事がある。  70軒焼失
1830 天保 1 黒田長韶tが隠居の身となり、黒田長元(長韶の娘婿、土佐高知藩主・山内豊策の五男)が封を継ぐ。
1832 天保 3 長元 天保の飢饉がおこり、一揆が盛んになる。
1834 天保 5 水野忠邦が老中になる。
1836 天保 7 島原の陣二百年祭の式典が執り行われる。
翌八年、島原の陣図屏風が出来あがる。
1840 天保11 黒田長韶が没する。
1841 天保12 天保の改革始まる。
1843 天保14 総州(千葉県)利根川分水路 印旛沼古堀筋(佐倉藩領)の普請手伝いを仰せつかる。
1849 嘉永 2 大雪が降る。翌3年大洪水・台風がある。
1853 嘉永 6 米使ペルーが浦賀に来る。露使プーチャチンが長崎に来る。
1854 安政 1 和親条約が結ばれる。
大洪水がおこる。
1855 安政 2 宮崎織部一味の乱行を福岡本藩に直訴した間小四郎が死去する。
1858 安政 5 安政の仮条約が結ばれる。 安政の大獄がおこる。
1859 安政 6 数々の名画を残した元・秋月藩お抱え絵師斎藤秋圃が大宰府にて92歳の生涯を終える
1860 万延 1 黒田長元が退隠する。(長義 長元の三男)封をつぐ。
桜田門の変がおこる。
1861 万延 2 長義 長義が長崎を巡視する。
1862 文久 2 黒田長義が没し、黒田長徳(長元の五男)が家督を継ぎ12代目藩主となる。
1862 文久 2 長徳 伏見・寺田屋事件がおこる。
1863 文久 3 但馬生野の変が起きる。
1867 慶応 3 将軍徳川慶喜が大政を奉還し、王政復古の大号令が下る。
1868 明治 1 臼井亘理が藩命により公用人として上京する。
5月:臼井亘理は一時帰国その後、中島衛屁平と共に、干城隊に斬殺される。
1869 明治 2 諸藩主の版籍奉還が聴許され黒田長徳は秋月藩知事に任ぜられる。
1871 明治 4
廃藩置県
1873 明治 6 仇討ち禁止令がでる。 野鳥に禽川小学校、魚町に分校が設置される。
1876 明治 9 士族の帯刀が禁止される。(廃刀令)
秋月の乱が起きる

24日:熊本神風連が挙兵する。
27日:これに呼応して秋月党が起つ。
31日:豊津戦に敗れて江川に退き解散する。
    磯淳ら7士が、この日この地で自刃。
    (磯淳、磯平八、宮崎車之助、宮崎哲之助、土岐清、戸愿安浦、戸波半九郎)

1877 明治10 西南の役が起きる。
9月24日:西郷隆盛が自刃し、西南の役が終わる。