筑前秋月と歴史浪漫

秋月氏略系図


筑前国・秋月氏

初代 秋月種雄 原田種雄から改姓し、秋月種雄を名乗る。
二代 秋月種幸
三代 秋月種家 弘安の役(元寇)に出陣し、大いに戦って武勲をたてる(1281年)
四代 秋月種頼 元軍の再襲来に備えて、博多湾岸の石塁を構築(1276年〜)。
五代 秋月種資
六代 秋月種貞 足利尊氏との戦(多々良浜の戦)に敗れ、大宰府まで落ちのびるが、足利直義などに取り囲まれ、一族郎党20余人枕を並べて討ち死。
七代 秋月種高 足利方の小弐頼尚と共に、宮方である菊池武光軍と筑後川を挟んで対陣する(筑後川の戦い)。
八代 秋月種顕
九代 秋月種道
十代 秋月種忠
十一代 秋月種氏
十二代 秋月種照 「応仁の乱」にて、西軍の「山名宗全」に従い戦う。
十三代 秋月種朝 種月山大竜禅寺を建立する。
大友義継・菊地武重の軍を古処山下に誘い寄せ、これを撃退する。
十四代 秋月種時 大友義継と知略の和議を行い、益々兵備を厳にする
古処山城の防備を固めつつある時に、死去。
十五代 秋月種方 叉の名を「文種」。大友義鎮ら2万の大軍に敗れて戦死(自害ともいわれている)。
この時、嫡子「春種」も戦死。
種方の子、種実(当時、13歳、9歳とも言われている)、種冬、種信は、毛利元就を頼って落ち延びる。
十六代 秋月種実 秋月家の再興者。
秋月種方の次男。
十七代 秋月種長 豊臣秀吉との戦の際の大将。