マルタ共和国


マルタも多くの巨石文明の跡が残っていて、新石器時代の頃から人が生活していたと言われます
紀元前のフェニキア人に始まりカルタゴ・ローマ・イスラム帝国から近代の大英帝国等数多くの支配下に…
この島を支配するものが地中海の覇者であったと
小さな島であるが要所に位置するため、さまざまな悲運を負っている




マルタ国際航空到着



タラップを降りて…
旅行気分が高まります






マルタ共和国は地中海のほぼ真ん中に位置する
人が住むのはマルタ・ゴゾ・コミノの3つの島、面積を合わせても淡路島の3分の2
この小さな国に世界遺産が3つ

そのひとつ、聖ヨハネ騎士団によって築かれた城塞都市ヴァレッタは街全体が世界遺産に登録されています

ヴァレッタの礎石は1566年に騎士団長のジャン・ド・ヴァレッタの手で聖母教会に置かれたと
このヴァレッタ団長の名が街の名として残っているが、街の完成を見届けることなく1568年に眠りについている

騎士団によって新都市建設が始まったので、16世紀以降に建てられた建物が多いそうです






この写真を撮っている橋を渡ると、3.5Kmの城壁に囲まれたヴァレッタ
いよいよ憧れの街を歩きます

中央左の細長いグレーの建物はエレベーター
海辺から城砦まで一気に昇降する
スリーシティーズと呼ばれる3つの都市が目の前に
写真で見ていた限りは全てヴァレッタだとばかり…

それほど近い距離に驚きました





城壁の中に入り、最初に目にとまる大きな建物が首相官邸

スペイン・ポルトガル出身の騎士団の宿泊所として建設された建物だそうです
1744年に正面がバロック様式に改装され、騎士団長の胸像や紋章・彫刻が施されとても華やか
この日は扉も窓も全開、勤務日(?)だという事でしょう

この後も何度も通過した地点です

門を入ると…




聖ヨハネ大聖堂

1573年~1577年にかけ、修道会教会としてマルタ騎士団によって建てられた

白っぽい外観はマルタ産の石灰岩を使用、シンプルなルネッサンス様式
騎士団の構成が8言語にわたるので、それぞれの礼拝堂が造られた

内部は17世紀にマルタ騎士団で画家のマッティア・ブレッティによってバロック様式に建て替えられている

まぶしいくらい光り輝く内部、美しいものではあったが何だか落ち着かなかった…
フレスコ画は気候が合わないそうで、石灰岩の上に油絵で描かれているとか


中央祭壇に続く身廊は幅15m・長さ57m
高さも19mという広さを誇る
ラピスラズリ・色大理石・金銀で装飾された中央祭壇
眩いばかりの豪華さです





これは天井でも壁でもなく床
一面に色大理石で造られた墓標の上を歩くという事です


名前や碑文だけでなく個性的な絵が描かれた墓標
400以上もあるといいます

イースターの準備?
多くの人達が円座になってお話をしていたり、今までになくざわざわとしていて忙しそう
祈りもせずにカメラを向ける私達は場違いな場所に来た感じ…

見応えある聖堂も見学は足早に済ませ、早々に退去したのでした




このあと付属の美術館でカラバッジョの大作 “洗礼者ヨハネの斬首” “執筆する聖ヒエロニムス” を鑑賞
暗い背景に光を当てた人物の対比、素晴らしいというより恐ろしいくらいでした







アッパー・バラッカ・ガーデン

案内してもらえると思わなかったので、フリータイムに行ってみようと思っていた場所
地図ではそこそこ距離がありそうに見えたのに
考えていた方向とは別の入り口から入ったからでしょうか、あっという間に着いてビックリ!

1661年に建設されたという柱廊が風景に趣を添える

イタリアの見晴台とも呼ばれ、19世紀まではイタリア人騎士団の遊びと休息の場だったとか
堡塁の上に海の上に突き出るような地形なので、グランドハーバーとスリーシティーズを一望する素晴らしいパノラマが広がる

どこまでも青いグランドハーバーと蜂蜜色の建物
素晴らしい…
のひと言に尽きます♪



ペン画で見ていた景色が目の前に…
大・大・大感激♪♪

でもこの建物とヨットの数…
先輩方の力量に感服するばかりでした







ハル・サフリエニ・ハイポジウム神殿

他の神殿と違って地下の岩盤を削って造られたという神殿

一度に10人しか入場できないという神殿で世界遺産に登録されている

紀元前3500~2500年頃に建設されたといい、7000体以上の骨も発見されているそうです

メイン道路を折れて住宅街を歩き始めてすぐ “エッ、ここが?” 
オレンジ色の壁の所が入り口、言われなければ通り過ぎてしまうような場所です
1時間毎の入れ替え制、時間になるまでこうして外で待機です


写真撮影厳禁
パンフレットからの拝借写真です

地下の3層にあたる部分まで大小38の石室が続き、全体の広さはおよそ500㎡
天井の高さも3m・5m・10mに及びます
機械はもちろん金属もない5000年も前という気の遠くなるような時代にどうやって…?


暗い地下室、近づくと明かりが点灯し、ガイドレシーバーでの説明が始まります
離れると明かりは消え、次のポイントの明かりが付く…
監視の人が先導する後に続いて進むを繰り返し、地下神殿の見学は45分ほど
入室前のビデオ観賞を入れて1時間ほどで終了です

温度・湿度・照明等の管理が厳しく、一度に10名の定員制
以前は誰でも入れたそうですが、人の吐く息でかなりの損傷を受け、修復後に空調を整えて今の形式にしたそうです
このため一日に入場できるのは数十名だとか、世界中から集まるわけなので大変な競争率といいます
今の時代、簡単にネットで予約が可能
知らずに訪れてすごすご帰る人も多いと聞きました

私が参加した旅行社も、なかなか予約が取れないので今回が最後という話でした
そういう意味ではとてもラッキー、2度と出来ない貴重な体験ができました











この後フェリーでゴゾ島へ向かいます
チェルケウア港へ向かいます















ゴゾ島



マルタ本島の西6Kmに位置するゴゾ島
東西14Km・南北7Kmの小さな島、フェリーで25分で到着です

イムジャール港到着

マルタ島とは地層が違うそうで、ゴゾは緑が多い
一番高い建物は教会






先ず向かったのがジュガンティーヤ神殿

こちらも紀元前3600年というとてつもなく古い時代に造られた、現存する世界最古の巨石神殿
“ ジュガンティーヤ ” というのは “ 巨人 ” という意味だとか
巨石は最大50トン程もあり、幅40m・高さ8m・奥行き23mあったといいます

             出土品
見覚えあるユネスコのマーク
世界遺産である
大きな胸とお尻が特徴
“スリーピングレディ”



ミニ博物館を後に神殿へ
芥子・春菊・アザミ・スーラといった色とりどりの野花が青い空によく映える
神殿の南のシェウキーヤの街、聖ヨハネ教会のドームが見える

広~い野原(?)を進むと白い石積みの壁…
高さは8mにも及ぶところもある

マルタは海底が隆起してできた島
サンゴが入った石灰岩でとても固いそうです
石と石の狭い所にも花が…、思わずカメラを向けてしまいます



南神殿の入り口
 南神殿の祭壇跡
生け贄や土偶などを捧げた場所…?




大きな石には落書きが多い
これは古代のものではなく
発掘した考古学者のメモ書きとか
こんなのあり~?
扉を通していたという穴 右側中ほどに人がいます
大きさが想像できるでしょうか






アズレウインドウ
数千年の風と波の侵食によって造られた天然のアーチ
青い海と空が美しい

“ アズレ ” とは “ 青 ” の意味
海の青か空の青か…?

立つ方向によってどちらにも変化しそうです♪
私達にはこの位置に立つ時間はなし
眺めるだけに終わりました
コチラは反対側の海








チタデル


ゴゾ島の中心・ヴィクトリアに聳え立つ要塞
侵略の際の避難場所・攻防の場所としての役割を果たしたと言います

階段を上りきると城塞の中… ゴゾ大聖堂

修復中だからか時間がないのか、ここは素通り…
外観はシンプルな造りだが
内部は赤とゴールドの煌びやかな装飾が施されているとか

マルタにある360の教会で唯一のだまし絵もある
天井がドーム型に見えるというもの
これも見たかったのに、残念!!




砦だから当たり前ですが、高台に建っているので360度が見渡せる


赤いクーポラは聖ジョージ教会 シェウキーヤの聖ヨハネ教区教会
 ジュガンティーヤ神殿からも見えました






アーラの展望台

ここはコミノ島とコミノット島が見える絶景ポイントだということで下車

コミノ島の後方はマルタ島



ブルーラグーン


下は石灰岩の砂だとか
青の濃淡がため息が出るほどに美しい

そのまま撮ったりズームで撮ったり…
同じだとわかっていても
シャッターを押し続けた場所です
中ほどの小さな島がコミノット



フェリー乗り場で
乗り合いの2階建てバス
これに乗ってみたかった♪
マルタ~ゴゾ間を運行するフェリー
これに乗ってマルタ島へ戻ります


















再びマルタ島





中世の雰囲気が残る古都イムディーナへ

ほぼ中央部、平野を見守るかのように小高い丘の上に佇む
ヴァレッタに先だって首都が置かれ、貴族の館が立ち並んでいたといいます
その後の首都の移動に伴い人口が激減、今は250㎡という城壁内に100世帯ほど
建造物保護地区となっていて改築も新築もできないそうです
車窓から見たイムディーナ

左はゴゾ島に向かう時に写したもの
青空に映えてきれいでした

観光当日ホテルを出る時点では小雨
意気が下がるというもの…



メインゲートから


この橋を渡ると街に入る

このゲイト、元は神父と貴族専用だったとか
内外の門には紋章や聖人の彫刻がなされています
ゲイト右のはめ込みのような跡部分
かつて利用されていた跳ね橋
こちらが街への入場口でした
内側です





これから街中の散策です



どの場所も絵になりそう…
マルタストーンと呼ばれる家々、雰囲気のある路地散策はとても楽しめました


でも青空が一度も見えなかったのが心残り、悔しかった~!

女子修道院の渡り廊下



聖パウロ大聖堂

マルタで最初の聖堂、4世紀のことである
破壊・再建・修復・拡張が繰り返され、現在の大聖堂は1702年に再建されたもの

この日はグッドフライデー(キリスト磔刑の日)、街の人々は7つの教会を巡っているのだとか
教会の中はいつになく混雑気味、信者ではない私たちは邪魔になってはとここでも早々に退散です
1693年の大地震後に再建されたもの
2段目上方の白の丸いもの
左は時計で右は日付時計、珍しい…
入り口の上、これは司教の紋章
あまりにも駆け足での見学だたからでしょう、広場で説明を聞いたのは覚えているけど内部の記憶はなし
入っていない…と思っていたら1枚だけドームの写真がありビックリ!




テラスと呼ばれる見晴台

遠くにヴァレッタが見える
カメラのズームを使うと
こういう景色が迫ります

聖アガサ教会




別の門からいったん外へ
城下町ともいえるラバトを歩いてみる

イムディーナと違ってラバトは住宅街が続く

マルタ人と結婚したガイドさん曰く “ マルタ人の女性はお掃除好き ”
家の中だけでなく窓や扉は外側までピカピカに磨くそうです
家の前を通り過ぎるたびに “ ほら、ピカピカでしょ? ”

まもなくイースター
出窓だけではなくドア横にも様々な飾り付け…
住む人の思いが感じられ、目的なく歩いていても楽しめる




移動のバスに乗るため最初に通ったゲイト前に…
元の裁判所とやらで最後のガイド、イヤホンで説明を聴きながら数メートル移動し顔を上げたら…
変な言い方ですが目の前に私の絵があった!!

イヤホンから聴こえる解説はそっちのけで隣の建物を凝視
初めて仕上げた4作目がこの建物だったのでした

ゲイトを抜けたすぐ右側にあるのに、往路ではまったく気付かず通過していました
見付けた時の嬉しさといったら…
ほんとに大感激の一瞬でした
その建物は自然史博物館


正面から、そして左右にまわり…
何枚写真を撮ったことでしょう

イースター前故か、扉が閉まっているので休館日?

左写真も男性が隙間から撮影中
私も近くに寄って…
右がそのときの写真

やはり外の方が絵になります
それにしてもガイドさんの説明は一切なし
帰国後確認したガイド本にはチャンと載ってるのに…
いつも感じる個人の好みという事でしょう








ブルーグロットー

この辺りはリビアまで400Kmという国境海域だとか

ほぼ同時に大きな団体が到着、先に乗るために小走りで船着場へ…




ボートは9人乗り
ほとんど待つことなく乗船!

思いのほか風が強く、もう少しで運休だったとか

そういえば快晴だったイタリア・カプリの青の洞窟でも
波が高くてぎりぎりセーフだったのを思い出した

お天気が良くても安心できないのですね~♪

写真だと青い海が穏やかに見えるけど、実際は頭から水しぶきを被る事も
荒波を越えボートは進む・・・

カプリのようにひとつの洞窟へ入るのではなく、侵食でできた洞窟を25分くらいかけて周遊
様々な青に変化する美しい海、至福のクルーズタイムでした♪


青・碧・緑?
微妙に変化する繊細な海とダイナミックな岩壁
あっという間に終わってしまいました







マルサ・シュロック


“ マルサ ” は港、 “ シュロック ” は南の風の意とか
本島最大の漁村との説明、でも漁村というよりおしゃれな港町…

1989年の冷戦終結時にブッシュとゴルバチョフのマルタ会談が行われたのがこの海上です







食事中に大雨が降りだし雷までも…
どうなる事かと心配したけれど、皆の行いが良いのか雨は上がり青い空ものぞき始め…

午後のフリータイに予定していた湾内クルーズも大丈夫そうでひと安心です






食後に港の散策を!



この辺りはカラフルな青・黄・赤の “ ルッツ ” という伝統的な船が多く見られる
魔除に描かれている一対の目が特徴
上がり目・下がり目、泣き出しそうな目もあれば笑ってるような目…
それぞれ表情が違っていて、ボートを見てるだけでも楽しい



何ともかわいいたれ目ちゃん!

ミスマルサ・シュロック探し
こういうのも時間があればも面白いかも…








フリータイム

旅行の出発前から考えていたのがこの湾内クルーズ
この船に乗ると海側からヴァレッタの城塞が見えるというわけです

ツアーのお仲間に聞いてみたが何も計画してない…という返事
私の計画を話すと “ 一緒に連れて行って ”
こうして予定が実現しました


ホテルに帰る人を送るというバスに乗り、スリーマーという街で下車
ここから船は出港します

私たちが乗るはこのタイプ
一番前に座るため、次の船を待ちます
こちらは小型のクルーズ船
湾内クルーズは3種類あるそうです
ヴァレッタの向かい側のスリーシティーズと呼ばれるヴィットリオーサ・コスピークワ・セングレアの街を海上から眺めるコース
先日見たアッパー・バラッカ・ガーデンからとは反対の風景も見えるわけです
来る前からの一番楽しみだったクルーズでした




いよいよ出発です♪
後方はヴァッレッタ 素晴らしいパノラマが見えたアッパー・バラッカ・ガーデン 停泊中のクルーズ船




ヴィットリオーザ

アンジェロの砦 この辺り、ゆっくり歩いてみたかった… 入り江の方はヨットハーバー
たくさんのヨットやクルーザーが停泊中


左写真を油絵風に遊んでみるとこうなりました♪



セングレア


セングレアの監視塔・ヴェデッテ


街を見張るため?
塔には目と耳が付いてます♪



中央の縦長の建物
市街地へ入る橋の上から見たエレベーター
何階くらいになるのでしょう?
左はアッパー・バラッカ・ガーデン

まもなくクルーズ終了です


この後はホテルが徒歩圏ではなかったので、余り考えず皆さんと一緒にホテルへ…

まだまだ明るく時間もたっぷりあったのに、どうして帰ってしまったのか?
スリーシティズまでは無理でも、せめてスリーマまでの海辺に沿っての散策なら十分出来たのにと悔やんだものです

後の祭りですが…







タルシーン神殿

紀元前3500~2500年頃にシチリアからわたってきた人々が建設したらしい
1914年に畑を耕していた農民が発見した
地中に埋もれていたため保存状態が良く、各種の発掘物が残っています




マルタには巨石建造物が23ケ所、そのうちの保存状態の良い6ヶ所が世界遺産に登録されています



神殿への入り口 こちらは祭壇


神殿内には様々な発掘物があるが、雨ざらしのでの 腐食を避けるためいずれもコピー
本物はヴァレッタの考古学博物館に展示されていると聞き??

後日行ってみましたが、はっきり見える渦巻き模様等を見ると腐食の早さを実感
保存のためには仕方がないのでしょう


2.75mの巨石を使ったという
彫刻 “ Fat Lady ”

見辛いが壁や祭壇に渦巻き模様の装飾が多い
これは時間と永遠の象徴なのだとか
人が2人入れるくらいの大きさ
くり抜いて造られたというから驚きです

ここにも渦巻き模様が… 男性でも楽々通過、180cm位はある…? 影になったゲート模様が可愛くて写したもの
でも後で考えたら
石に刻んでいた渦巻きなのだと…









3連泊したホテル “ ラディソン・ブルー・リゾート ”

“ 五つ星ホテルの海側に面した部屋で3連泊 ” と言うのが募集要項のキャッチフレーズ

ヴァレッタを散策するのが大きな目的の旅
星は関係なく3連泊が魅力で決めた旅行でした

クロアチア・チェコ・ハンガリー
このところ立地条件最高のホテルだったので
今回も…に期待して


出発間近に送られてきた予定表には…
期待したヴァレッタではなくセント・ジュリアンの地名
ヴァレッタまで少し距離があるな!
部屋は広いし調度品もそれなりに…
でも私はひとり、この広さは不必要
テラスもプールも窓から眺めただけ
旅行者にリゾートホテルは無意味
セント・ジュリアンでも繁華街から離れ、五つ星ホテルが立ち並ぶ高級ホテル地域
のんびり長期滞在では言うことなしでしょうが、駆け足旅行の私たちには向かないとつくづく思った

夕方は食事時間まで1時間程度の時間があり、朝は起床次第で時間は作れる
この時間帯にバレッタでの散策を夢見ていた私
でもヴァレッタまで徒歩で行くと途中でUターン?
時間の作れる朝はバスがないし、時間が読めないとなるとやはり不安でずっと部屋に閉じこもる結果に…


グランドハーバーの夜景が目の前に広がるのを想像していた私
部屋の前に海は見えるけど、灯りひとつないただの海(?)
3日間ため息ついて…
高級ホテルでなく3流でもいいから、バレッタの街中のホテルに泊まりたかった (>_<)







いよいよマルタも最終日先日も散策したヴァレッタの街へ
急遽休館日となって入場できなかった騎士団長の館を中心に再び歩きます


首相官邸の前をこの日も通過



帰国後に写真を整理していて気付いた…
この前は扉も窓も全開だったと!


この日も人出はかなり多かったので、そちらに気をとられていたものか全く気付かなかった
よ~く見ると全ての扉が閉まったまま…

そう日曜日でした!




街中を走る観光バス


乗っている外人さんは楽しそう♪
日本のツアーって残念ながらこういうのは組み込んでくれないですね





イタリア騎士の教会 街の広場に立つヴァレッタ団長像







騎士団長の館




現在は国会議事堂兼大統領府

この日はイースータ

正面入り口から入場
そして普段は使えないというVIP用の階段
磨きぬかれた大理石の螺旋階段を上って2階の特別展へ…


ラッキーでした♪



館内の薄暗さもあって重々しく、そして何か寂しげ…
“ 騎士の館 ” の命名が何となく頷ける 
一瞬ドキッ!
でも甲冑だけでした



廊下の床を飾る大理石、十字軍の十字マークが施されている




ここはイースター特別展の会場
高い天井に届きそうな迫力で、 華麗なる聖人像が迫ってきます




歴代大統領の肖像画が架かる大統領室
元は騎士団長の書斎として使われていた

“Red Room” と呼ばれる大使の間



審議の間

1926年~1976年までマルタ議会が置かれた部屋


今は18世紀のタペストリーと
騎士団の戦いを描いたタペストリーが飾られている
当時世界最高の王立ゴブラン織物所で製作されたという
画家が様々な場所へ出向きスケッチ、それを元に織らせたものとか
超一流品の数々が300年の時を超えて展示されている

保存のため照明をかなり落としているので暗くて見にくかった
素晴らしさがちょっと伝わってこなかったのが残念でした




中庭



騎士団長の館の前の広場



建物の名は…??






国立考古学博物館

中心街のリパブリック通りに面した “ オーベルジュ・ドゥ・プロヴァンス ” 
名前どうりかつてはヨハネ騎士団のプロヴァンス地方出身者の宿舎だったそうです

先史時代の巨石神殿をはじめとする遺跡からの貴重な発掘品を展示している

この日の案内は終了したガイドさん
フリータイムにやって来た私たちに特別のガイドサービス?
日本語で助かりました!


これは世界の巨石年表
1番上のB.C.3600年がマルタのジュガンティーヤ
2番目がB.C.2530年でエジプトのピラミッド
そして3番目がB.C.2000年でイギリスのストーンヘンジ
そしてクノッソス宮殿・アクロポリス・万里の長城
この後の7番目がコロッセオ(ローマ)でA.D.70年と続きます

あまりにも有名なピラミッドよりマルタが1000年も前の文明?
言葉が出ませんでした



これがタルシーン “Fat Lady”の本物 ハイポジウムから発掘された “Sleepinng lady”
こちらは掌に乗るくらいの小さなもの


現地写真が展示されているのでとてもわかりやすい

神殿のコピーは渦巻きもほぼ消えかかっていたが本物の渦巻きははっきり見て取れる
これが紀元前のものだなんて・・・・
こうして室内の展示で見るのは味気ない気もするけれど、ここまで違うとなると納得せざるを得ません

先に神殿に行っていたので欠けた石の塊(?)を見ても、すぐに現地の風景を思い出せる…
今までとは違った感覚で博物館を楽しめたように思います











街の中心 リパブリック通り


大型クルーズ船が多数停泊中
人が多くてとても賑やか
正面は国立図書館
入り口の両サイドはおしゃれなオープンカフェ
座りたかったけど満席でした
絵に描いてみたいなと思い写した建物
お洒落な建物が多かった♪
集合場所は聖ヨハネ大聖堂の隣

ここを最後にヴァレッタと
マルタともさよならです


空港へ向かうまでの2時間ほどのフリータイム、博物館へ行ったので残り時間は30分あるかどうか
これでは集合場所から離れることもできず…
お友達が食べたいと言うのでアイスを買って、リパブリック通りのお店を覗いて…で集合時間

最後に残ったのは欲求不満という、初めての有難くない経験だったかも…(>_<)






マルタ発15:45の飛行機でキプロス・ラルナカまで飛び機内待機
その後ドバイ経由で関西国際空港
往路と同じように国内便に乗り換えて羽田空港へ…の帰路の行程はほぼ一日半
おまけに羽田到着が夜、深夜にうろうろするのも嫌だったので羽田でホテル泊
帰宅はさらに遅れて翌日のお昼、疲れた…!


旅行内容が盛り上がったものなら時間のことなどたぶん…

マルタ、思っていたよりずっと素敵なところ
ところがイースター前で旅行日程が大幅に変更、これが致命的でした
すぐ近くにある建物に日を変えて行くという事が重なり、移動時間が倍近くという無駄
ガイドの後について歩くだけで、短いフリータイムがカットされて自分で歩く機会がなくなるという結果に

小さな街だとわかっていても初めての不慣れな場所、位置関係がつかめず思い切っての行動ができなかった
3連泊したホテルの朝夕も然り


こうした不燃焼事項が重なって帰国後はいっそう気分低下
写真整理は遅れるばかりだし、この旅日記も…
書き上げたのは3ヵ月後、思い出すのが大変でしたがどうにか完了です



ツアー参加ではもちろん自由に動くことは無理
でもほんの一時でも自分の意思で・足で、目的地を決めて歩いてみる
これが心に残る旅の重要ポイントだと思い知らされた旅行でした

ヴァレッタだけじゃなく、クルーズで目にした小さな街を歩いてみたかった♪
小さな島国、個人旅行がピッタリの国かも知れません


見直してみたら愚痴だらけの旅行記になっていました
日が経てば経つほど “ あの日はこうすれば良かった、ああすれば良かった ” と後悔するばかり
さっさと仕上げていたら内容も少し違っていたかも…(*^_^*)


ここまでお付き合い下さってどうもありがとうございました
心より感謝申し上げます