広島~



今年の初旅行は広島から萩・津和野…

今回は大雪の東北を避けて初めての中国地方
ところが直前になっての天気予報は全国的な雪や雨で大荒れで、唯一の晴れマークが関東という皮肉なもの

すっきりと晴れ上がった大晦日の朝、新幹線で福山へと向かったのでした

静岡を過ぎたころから雪が降りだし名古屋も京都も雪…
ところが新大阪へ到着のころには道路にも雪はなく曇り空、あら…??




バスに乗り換えるため福山駅で下車

駅を出たら目の前に城壁が…
ビックリ!




尾道 千光寺公園へ


今回の旅行で訪れる場所はどこも三十数年ぶり
あまりにも昔の事、薄れつつある記憶がどうつながるか…?


千光寺の鳥居

 
                        千光寺公園から見た尾道水道

                                           

“文学のこみち”と名付けられた山頂から続く静かな散歩道

尾道ゆかりの作家・詩人の名作を綴る文学碑は25ある
瀬戸内海を見下ろす坂道の両側に連なる文学碑を見ながら散策した覚えがありました
でも昔はバスが停まれるような駐車場などもなかった…
今は観光地として整備され、大きな千光寺公園に生まれ変わっていました



正岡子規 志賀直哉 林芙美子







宮島航路の桟橋近くのホテルにて


ロビー階に設けられた池に巨大なお正月飾り
そして琴の音が

元旦もすぐそこまで…♪


7時30分頃
朝食をとりながら見た初日の出
左側ホテルの1階角がレストラン
大荒れ…の予報が見事に外れ朝から抜けるような青空
青い空と海に朱の鳥居と社殿…

ワクワクしながら桟橋へ向かったのでした



安芸の宮島へ



桟橋に立つと宮島は目の前
8時半発のフェリーに乗船

10分ほどで到着です


宮島に上陸するとあちこちに鹿が…

ここでは鹿せんべいなどはなく
“食べ物を与えないで下さい!”

何度も念を押されました



世界文化遺産の記念碑




立派な門は開かずの扉?
両脇の狭い場所での出入りでした


たぶん鹿避け…?


厳島神社の表参道に飾られていた大杓子
長さ.7.7mという巨大なものです
この写真の撮影場所は団体さんの記念撮影ポイント
次々集団が入れ替わります♪

厳島神社
参拝入り口

この辺りは引き潮で地面が見え始めている

















回廊にて

海面に映った社殿&廻廊は美しく 、まさに平安の昔さながらの荘厳華麗な姿

もう1時間もすれば神社一体が砂浜に…
変わる前に来られて良かった♪



大鳥居の高さは16m

神社で一番の突端部分
大鳥居をバックに写真を撮る人で大混雑!




見る見るうちに潮が引き、能舞台付近は既に地続き

出口付近の廻廊で



名物の牡蠣
焼きたての牡蠣は美味しかった♪
平清盛神社
今日のような廻廊で結ばれた海上社殿を造営したのが平清盛
その偉績をたたえ、霊を慰めるために建てられた



千畳閣 五重塔

天下統一を目前にした豊臣秀吉も参詣して武運長久を祈願、安国寺恵瓊に命じてこの大経堂(千畳閣)を建立した





海水の引いた客社祓殿


やはり風情がない…?

大鳥居の方まで引くのは午後になる

桟橋へ向かう時に通った参拝入り口付近は初詣の人達で溢れかえっていた
綱を張って規制し少しずつ入場させていたが、あれじゃ1時間待っても入れないだろうな…
朝が早かったので無駄な時間待ちもなく入れた事に感謝したものでした


宮島口への帰路

多数の牡蠣の養殖棚が目に入りました








岩国 錦帯橋


太鼓橋の上を歩いた記憶しかないけれど、水嵩の少ないのに驚いた
中ほどのアーチ2連分ほどの川幅に流れていた

5連の木造アーチ
歩くと見た目よりも丸みを感じる幅5mの橋
川底に映った錦帯橋、チョッと狙ってみました


橋を渡って対岸を散策
主人のリクエストでやって来た…
長刀を構えているのは??
佐々木小次郎の銅像です♪
岩国だけに生息しているという天然記念物の白蛇
3匹の白蛇が眠っています
縁起がよいというので入場したのですが…(*^_^*)

退散する頃になってお天気回復♪
アーチが5つ連なる橋の長さは210m 橋台は6.64mの高さがある

河川敷が駐車場

散策を終えてバスの近くにいたら太鼓の音が聞こえ、“岩国藩鉄砲隊”の幟を先頭に鎧に身を包んだ行列がやって来た

出発時間が近かったのでバス車窓から見物


河原に一列に並び10連発
この繰り返しが何度か…

空砲ですが煙は充満し迫力はそこそこ
予期せぬセレモニーに大喜びの車中でした


秋吉台・秋芳洞


岩国を発ってしばらくするとバスの外は雪に変わり、到着した次の観光地秋吉台は既に積雪あり
幸い到着時には上がっていたものの日没前という時間帯でもあり、台地の見晴らしはいまひとつ…

日本最大というカルスト台地
霧で視界が遮られ、雪で石灰岩は隠されて…


秋芳洞



秋吉台の地下100mにある大鍾乳洞
総延長は10km、そのうちの約1kmが観光コース

黄金柱 温度は通年17℃

寒いこの時期には洞内は風がない分暖かく感じる
大黒柱

千町田


このところ入り組んだ美しい鍾乳洞を見る機会が多かった私
東洋一というので勝手に見慣れた鍾乳洞のビッグバージョンを期待していたのか、今回はチョッピリ期待が外れた…(*^_^*)

目の前に広がる空間は確かに大きいが、変化に乏しくだだっ広いほら穴のよう
広くなだらかな洞窟内は足元の危険性も低いためか手すりもあまりなかったし、広さの割には照明が極端に少ないと感じた

薄暗い洞内で撮った写真はほとんど失敗、ガッカリしたのはこのせいかも…(*^。^*)



出口付近で



ここを出たのが丁度閉館の5時でもちろん最後の団体

時間が時間だから駆け足入場だった?
もしかしたらこの事が
ガッカリ…の最大原因だったのかも知れません




毛利氏36万9,000石の城下町 萩へ

勝海舟や吉田松陰の本を読み漁っていたその昔
萩を訪れた時は駅前で自転車を借り、自分の足で市内中をじっくり回ったものでした

近くの駐車場で乗降車、主だった所を効率よく回る便利なツアーと比較してはいけないと思いつつも…
好きな場所にはツアーでは行くべからず!!
心底感じた萩でのひと時でした

萩焼窯元


壁に装飾のために埋め込まれた素焼き 登り窯 依然来た時は両親へのプレゼントに湯飲みを購入
陶芸をかじった今はざっと見るだけ…


武家屋敷の残る地区へ移動

江戸屋横丁
金毘羅社
高杉晋作や伊藤博文が
幼年時代に勉学に励んだという神社
木戸孝允の誕生地
路地を歩くと夏みかんの甘酸っぱい香りが…



白壁が続く菊屋横丁


お侍がひょっこり現れそう…
高杉晋作誕生地



着いた時は小雨で閉まっていた扉

駐車場へ戻ろうとしたら人力車が…
晴れてきたから店開き?


松陰神社・松下村塾

見にくいが上部の松陰神社の文字
元総理大臣・岸信介の書
石碑にある署名・寅二郎は松陰の幼名
処刑される前にしたためたという直筆だそうです



松下村塾



吉田松陰が安政3年(1856)から2年半
明治維新の原動力となった多くのすぐれた指導者を養成した塾


江戸から遠く離れた場所で、こんな小さな田舎の塾で
広い世界を見ていた人達がいた…





幽囚の杉家旧宅
(松陰の実家)


囚われの身となった1855年から数年間
3畳半の1室で謹慎し、読書と著述に専念


松陰神社


新年2度目の詣でを!

小さな間口の神社へ入るとこじんまりした塾の建物があった…
こうした記憶でしたが今は大駐車場も完備され、公園のように整備された大きな観光地に変わっていました

幕末が背景となるドラマが放映されるたびにクローズアップされ、大勢の観光客が訪れるようです♪






萩を発ち島根に入ると間もなく窓外の景色は一転して真っ白

二日間降り続いた結果ですがこの日は快晴
大雪の予報が外れた幸運な一日でした

津和野


日本海側では大雪という同県でもここは快晴
説明してくれた男性が“この二日間ずっと雪。今日も大雪の予想だったんですよ”
私達のために神様が青空をプレゼントして下さったようです♪

ランチをとったお店で看板を見付けた森鴎外旧宅
食事を早々に済ませて直行♪


鴎外の生誕地として名高い津和野
ここに10歳で上京するまで住んでいた
勉強部屋



鯉で有名な殿町通り


笑って説明された“糖尿病のメタボ鯉”


太り過ぎて全長と胴回りが同じくらいのが珍しくないとか

メタボ鯉が群れて集まる…
チョッと目を背けたくさえなる光景でした



津和野カトリック教会 礼拝堂は珍しい畳敷き 駐車場近くにあった伝統行事鷺舞の銅像









広島 平和記念公園


平和の時計塔
原爆の子の像

被爆10年後に白血病のため12歳で亡くなった佐々木貞子さんの記念像
下の四角いブースに千羽鶴がぎっしり捧げられています



世界遺産・原爆ドーム


元広島県産業奨励館


爆心地である島外科はこのすぐ裏
原爆はこの病院の上空約580メートルで炸裂、厚さ1mもあった壁も跡形なく崩れ落ちたそうです



原爆死没者慰霊碑

中央に立つと公園を隔て原爆ドームが正面に見える




平和記念資料館より慰霊碑を


資料館を背に“嵐の中の母子像”
往路の新幹線でたまたま目にしたのが日経新聞の“私の履歴書”でアメリカの元国務長官のものでした
現在も核禁止の活動をしているという内容で、この回が最終章で最後に広島について記されていた

様々な展示で原爆の恐ろしさ・凄惨さを訴えていて胸が痛み、二度と起こしてはならないと痛切に思う
しかしながらどうしてこういう事になったのか…という事についてはいっさい触れられていないのが疑問である…

こういう趣旨のもので、同じ記事を読んだ主人と頷きあったものでした

世界初の“被爆”については一方的な被害者ではあっても、その背景を手繰っていくと…
見方を変えるといろいろな考えがあるものです、ムズカシイ!!

この日も資料館にはかなり多くの外国人が来館…
ざっと見て回る日本人と比べ、イヤホンで説明に聞き入り長く立ち止まっている姿の多いが印象的でした