ボスニア ヘルツェゴビナ





モスタル





キャラバンサライがあったというポツィテ村で休憩

今まで滞在したスロヴェニアやクロアチアとは異なる風景
イスラムの香りが漂う…


トルコの家


18世紀に建てられた民家で、当時のヘルツェゴヴィナの人々の生活が垣間見られる

天然の小石を敷き詰めた中庭
トルコ絨毯が敷かれた居間 居間からはネレトヴァ川が見える






コスキ・メフメド・パシャ・ジャミイ








左は清めの泉


かわいい内部の装飾が意外でした


コスキ・メフメド・パシャ・ジャミイのテラス、ここから眺め
る石橋はとても美しい
スタリ・モスト




緑乳色のネレトヴァ川に架かる石橋
昔は木の吊り橋だったが16世紀半ばに美しいアーチを描く石橋に造り替えられたという
400年以上の歳月を耐えた丈夫な橋は崖の上に造られた両岸の町を結び、古い橋・スタリ・モストは平和の架け橋であった

その美しい橋も内戦のあおりで砲撃を受け破壊された、1993年の事である
異なる宗教を信じる人々が数百年にわたって守ってきた人間の絆も橋と共に砕かれたというのである

NATOの介入により1995年、人々に大きな傷を残しながらも戦争は終結
そしてユネスコや世界銀行などの援助・民間からの募金によって橋の修復が進められ、2004年に復元された

離れた場所で眺めても、橋の上から川の流れに沿って眺める景色もとても美しい
親しかった人達をも引き裂いた悲惨な戦争が、つい最近まで行われていたなんてとても信じられない


石橋の復元式典では平和の訪れの象徴として全世界に向けてアピール
そして2005年、世界遺産に登録されました






ネレトヴァ川沿いにはトルコ風の街並みが続き、様々なお土産品が並んでいる



橋を渡ります♪


スタリ・モストにて




世界遺産のプレート






集合場所で

右側にあった数十メートル先の路地にふと目をやると…
車が行きかう道路際のビル
砲弾を打ち込まれた痕が無数にあり、今は廃墟と化している




街角でも…

近代的なビルの隣が無数の銃弾を受けた廃墟


ホテルのすぐ裏にあった高校を通りがかったのはちょうど下校時間、たくさんの生徒が談笑しながら校門から出て行く…
日本でも変わらないよく見かける光景です
でも生徒から進行方向に目をやると、学校の向かいの建物も隣の建物も廃墟が続く…

普段の生活においては目をつぶらざるを得ない現実があることに胸が痛みました















サラエボ





人口約50万人、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都である

具体的なイメージがあったわけではないが、あまりにもトルコ的で驚いてしまった
街のいたるところに見えるモスク&ミナレット、トルコで歩いたバザールあり…

ちょうど同じ時期に娘がトルコへ行くというので買って来て…と頼んだ品物があちこちで売られていたのにはさらにビックリ!
今いるのはトルコじゃないのに…?




バスの駐車場近くで…



この辺りはミナレットはあってもヨーロッパの雰囲気


イスラムの雰囲気が漂うバシュチャルシャ
多くの人が行きかう中心広場である
広場中心にあるドーム屋根で覆われた“セビリ”
水飲み場だそうです
職人街の一角で…




第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件の地
 
ラティンスキー橋 右側の建物は博物館
壁にはプレートがはめ込まれ、ウインドーにも当時の写真が展示されている






ガジ・スフレヴ・ベグ・モスク
カトリック大聖堂


セルビア正教会

サラエボでは三つの宗教の祈りの場が混在しています








多くの車が走る街中で…


ビルの壁に残る銃弾の痕
このように生々しく残ったまま…という建物が実に多か
った







トンネル博物館

内戦時に地下に掘られた800mのトンネル
セルビア軍に包囲され水も食料もない状況の中、他のボスニア軍の地域と連絡するために作ったもの
衣類や食料を運ぶ手段として使用されたといい、25mほどが公開されている

トンネルの入り口
木で組んだ実に簡素なものです
数段の階段を降りると中は真っ暗、手探りで…



当時の様子をビデオで鑑賞

わずか18年前の出来事です
ボスニア紛争…のニュースを見聞きしても
自分たちには関係ない遠い出来事…と
多くの日本人がそうだったように私もまた無関心でした

今更ながら恥じ入った瞬間でした





1984年の冬季オリンピックスタジアム

“えっ、何処が?”
今までに見てきたオリンピックの施設跡というと
最新式の建築技術を取り入れた実に立派なものばかり
ここではガイドの指差す方向を見ても
どれがそうなのかわからなかった…
車窓から見えた記念の塔
五輪のマークが目に入りました

帰国後に旧オリンピックスタジアムとグラウンドにも
内戦犠牲者の墓地が造られたと知りました
あまりにも多くの犠牲者に墓地が足りなかったとか…

ガイドの説明は聞いていたはずなのにな
墓地が死角になってたから気が付かなかったのか…?





スタジアムの反対側
無数に点在するのは内戦犠牲者の墓碑
白と黒のお墓は宗教で違うそうです


左上はテレビ塔
真っ先に撃ち落されたそうです






ホテル・ラドンプラザ



最後の宿泊は空港から近い五つ星の大型ホテル
近代的な設備が整う素敵なホテルでしたが、入り口を入って何気なく壁面を見ると写真の展示が…

近寄って見ると、爆撃を受けて無残に焼け落ちた当時のホテルの写真でした
旅の最後を飾るホテルがきれいで良かった…と単純に喜んでいた気持ちが一瞬萎えた…


モスタルもサラエボも、内戦下に砲撃や銃弾を受けた建物が今も痛々しく街に残っている
この内戦は三つの宗教と多民族が混在するサラエボでさらに複雑化し、多くの人々が犠牲になりました

その記憶はまだまだ癒されるものではなく、信頼関係の回復も苦渋のものとなっているといった記事を目にしました


かつての共存の時代を一日も早く取り戻して欲しいものです








今回の旅行記念
各都市で買うときりがないので目に付いた所で購入
後になって考えると好きな街のを買ってくれば良かった…と♪