ヘルメットについているゴーグルを一旦上げて、わたしは、やけに眼球に絡みつくその風景を見やった。
それから草ひとつ生えていないであろうその荒地にわたしはスクーターを停止させて、ヘルメットも外してから降り立つ。午前五時すぎ、今時、朝帰りも珍しくないご時世。現役女子高生であるわたしはバイト先から家までの距離をスクーターをフルスロットルで走らせていた。家と言えども一人暮らしなのでとやかく言う親もなし。死んだわけじゃないけど、今は畑から出荷する野菜を回収している頃だろうか。農家生まれのわたしは、とにかく今は一人暮らしである。
朝日が今か今かと出たがっているように見えた。ここからは遠い山から、その眩しい光を窺うことが出来る。いつも通る道なのに、今更気付いたのだ。朝帰りのバイトは、そういえば初めてである。
ケータイをポケットから取り出して、ボタンを押すと液晶画面が光った。時刻は、午後五時三十八分。いつもならまだ寝ている時間帯だった。幸い、今日は学校が創立記念日で休みであるので、わたしはしばらくここに留まることにした。
スクーターに腰掛けながら、ぼーっとしつつも視線はじっと日の出を見ている。正確には、吸い付いたように両目が離れてくれないのだが。山から出るそれはもう半分くらい、顔を出している。風景を楽しむ趣味はないけど、ただ純粋に、綺麗だ、と思えた。
はぁー、と冷える両手に息を吐いて暖める。滑り止め用のグローブを外すと、空気は直に手を冷しにかかった。実際、ものすごく手が冷たくなった。おそるべし、朝の空気。
それからまたしばらくして、太陽がやっと全貌をわたしの前に露にした。午前六時、まだわたしは起きない。
荒れ果てたこの土地で太陽を見物、なかなか風情が利いているような、いないような。判断に苦しむ。
ふと。最近、こうやって素直に綺麗と思えるものに出会えたことはあるのだろうか、考えた。ないと、思う。少しだけ、眠気でままならない頭を働かせた。朝の爽やかで冷え切った空気のおかげで、眠気は今は和らいでいるが。
荒野で独りぼっち。集団の中にいつもは飛び込むわたしだけど、今ばかりはこの状況に感謝することにした。バイトで疲れた帰りに、こんな贅沢すぎるものを見ることが出来たのだ。ご褒美かもしれないと、内心から嬉しさが込み上げる。それは久しく思わなかった感情だった。
でも、最初にわたしの心を動かしたものは、太陽ではないのが少し癪だ。
まるで世界のすべてがそこだけに圧縮されたような、何もない荒野。そうなると、世界には何もないという結論に辿り着かざるを得ない。自動車も、ユーラシア大陸も、ケータイも、わたしも、なにもそこにはないのだろうか。はて、実際は、どうなんだろう?
太陽は目に見えない速度で上昇している。目には見えない速度なので、見た目は山から出たて。
吹き抜ける冷気は肌で感じることが出来る。でも目に見ることはできない。
わたしが今、座っている場所。スクーター。その下に広がる、わたしの学校のグランドを半分にしたくらいの荒野。目に見て、触れることができる唯一のもの。スクーターから降りて、直に触れてみる。ひんやりとしていて、どこか暖かい気がした。まるで、太陽と冷気と大地の同居生活。まるで、これは世界の体験学習。この荒野は、わたしに世界を体験させてくれているのかもしれない。
でもまだだ、それだけじゃ何かが足りない。世界にはいろいろと必要なのだ。
午後七時。そろそろわたしが起きる時間になった。まだ、世界はカタチを持ったばかりの赤ん坊。わたしはスクーターに跨って、エンジンを始動させる。排気音が聞こえ、出発の準備は万全になった。ハンドルを握って、いざ走り出す。
内包する世界と、それの外の世界。そのふたつをいっぺんに見せられ、でもわたしは混乱することなく、逆に冷静に嬉しくなった。手にとり見ることができないものだけど、その存在はわたしの中に確かに存在している。この荒野のように広がり続けていく。わたしはそれが嬉しい。