階段にまつわる怪談、例として十三階段。あまり興味を引く内容じゃないけど、なぜか僕はここにいる。正確には夜の学校に、クラスメイトたちと。夜だから暗い、ので懐中電灯一本が頼り。
まさか自分が日々通う学校にそういう類のものがあるとは知らなかったので、半信半疑である。ちなみにその情報をリークしてきた張本人は、隣で朗らかに笑っている。名前はまだ知らない。まだ季節は春で、入学式は一昨日のこと。三日で名前と顔を一致させるのはちょっと難しい。記憶力には自信があると言えども少々無理な注文だ。
数人の群れの中の一人が何かを言って、僕らは歩き始める。実は玄関、開いてるんだぜー、誰かが自慢げに言う。それで多少の盛り上がりを見せる一同。僕は群れの最後尾にいる。雰囲気を壊すわけにもいかないので、僕も笑った。
玄関を潜り抜けて、僕らは噂の発生源、ずばり十三階段があると言われている旧校舎に向かっている。道順は言いだしっぺである……ええと、藤田さん? が知っているそうで。やっとのことで一人、覚えられた。そう、藤田さんは、まさに僕を誘った人物である。
声をかけられた時は少しびっくりした。高校生になって初めて声をかけてくれた人が女の子ならそりゃあ驚きもするのだから。そしてその内容が、今現在の状況の末に辿り着くであろうものへの道程。あるかどうかは誰も知らない。あくまでも噂は噂なのだ。
新校舎から旧校舎への長い廊下に差し掛かった。夜というだけあってやっぱり暗い。今日は星もあまり出ていなくて雲が多め。月は、照明の役割をこなせないようだ。光で道を切り、裂いていく。さすがにここまで来ると楽しい楽しい肝試しとはいかないようで、僕たちは静まり返った。夜で、しかもあまり使われることのない旧校舎。成り立て高校生数人を黙らせ、震え上がらせるには充分すぎた。
だんまりになってから数分後、ようやく長い廊下を渡り終えると、目的地も視界に入ってくる。誰かが、そろそろじゃねー? と言うと、活気も入るというもの。いつの間にか僕を先頭にして一団は進む。その後ろに控えるのは、藤田さん。そしてクラスメイトの面々と続いていく。
距離にして十メートルほど、目的地は僕らの眼下にある。懐中電灯でそれを照らすと、昼間とはなんら変わらない佇まいを見せる。
いち、にい、さん。
し、ご、ろく。
なな、はち、きゅう。
じゅう、じゅういち、じゅうに。
僕は声には出さず数えた。じゅうに、のあとに続く数字はない。
やっぱり噂は噂のままで、たぶん先人が数え間違えたんだろう。人はそういうことを広めて固めて固定化するのが大好きなので、しょうがないと言えばしょうがない。
その旨をみんなに伝えると、なぜか全員が納得いかなさそうな顔になる。そしていくばくかの顰めっ面のあとに、それなら降りながら数えようということになった。目測で計った分には十二段だったけども、別に反対する理由もないので僕は肯いた。
いーち、にーい、さーん。まるで小学生の算数の授業のように、小声でそれを数えていく。よーん、ごーお、ろーく。
声は恐ろしくなるほどに重なっている。心はひとつ、体は複数。なんだか複雑だ。なーな、はーち、きゅーう。
じゅーう。
じゅーいーち。
じゅーうに。
懐中電灯は点いていない。気分を損ねるという藤田さんの提案であり、みんなが賛同したので消灯せざるを得なかった。実は僕も賛同したのだけれど。
じゅーうさん。
その数字を口にしたあとで、おそるおそる右足を前に踏み出す。そこには、確かに残った左足が踏みしめる足場と変わらぬ高低差を持つ踊り場があった。報告しなくとも夜目に慣れたクラスメイトたちには見えにくくとも見えていたらしく、抑えられない小さな笑い声が漏れ出す。僕もつられて笑い出す。
その日、僕は友達と出会えた。
あーおーげーばー、とーおーとしー、わーがーしのーおーんー。
月日は瞬く間に過ぎ去る。光陰矢のごとしを体現している三年間だけれども、すべてが僕にとっては値千金どころか値万金をも凌駕していると言っても過言ではない。
ふと、思い出すことがある。隣には、あの日の集まりの中で、偶然にも三年間同じクラスだった藤田さんが笑顔を浮かべている。その他のメンバーは残念にも違うクラスになってしまった。それでも僕たちは友達である。もちろん、藤田さんも。
僕は、なんであの時僕に声をかけたの? と、訊ねた。藤田さんは思い返すような仕草をとってから微笑んで、それから何故か膨れっ面になった。僕はわけがわからない。
彼女が言うには、実は僕たちは同じ中学校だったらしい。それだけでも驚きだというに、次の言葉は僕を凍りつかせ、砕き尽くした。
実はね、あたし、きみのこと好きなんだよ?
みんなとの待ち合わせ場所に続く階段を登りながら、さらっと彼女は言う。そのあまりの自然な佇まいに、僕はしばし踊り場で固まった。そんな僕を見かねたのか、藤田さんは笑って、手を差し伸べてくれた。僕はそれを、当たり前のことのように握る。
段に足を掛けて登っていく。頭の中で、和を数えながら登っていく。
いーち、にーい、さーん。
よーん、ごーお、ろーく。
なーな、はーち、きゅーう。
じゅーう、じゅーいーち、じゅーうに、
じゅーうさん。
そう、十三段の階段を数えながら。先に登りきった藤田さんは、踊り場を数に入れちゃ駄目なんだよ、と苦笑いしていた。僕は、そうだね、と微笑み返す。