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2004年10月


▲イエメン▼(2004年10月08日)
先日、語言学院時代を少し思い出して笑ってしまいました。
語言学院の塔楼には多くの外国人が住んでいました。それぞれの部屋にはカーテンがかかっていたり、自分の名
前を書き込んだり色々でした。そんな中、私の記憶に鮮明に残っていたのが部屋の扉に大きく「也門」と書いて
あった部屋でした。この部屋には中東人が入っていることは分かっていたのですが、留学初期の私はこの「也門」を
見て悩んでいました。なんと言う意味だろう?・・・と。辞書を調べれば簡単であったのだが、単純な?先入観で漢
字のよく分からない中東人が中国語の勉強のために直接扉に「這也是門」=これも門です、という意味で「這」
「是」を省略して書き込んでいるんだなぁ・・・と勝手に納得してしまったのです。

暫らくして、クラスメイトのガオムーさん(だったかな?)の目の前で、この扉の「也門」を指差しながら

嘉飛「これってこれも門ですと書き込んでいるんですよね」

と口走ったら

ガオムー「え〜、違うよ嘉飛!これはイエメン(共和国)のことだよ!!恥ずかしいぞ〜おい・・・」

嘉飛・・・(゚д゚)・・・

思いっきり笑われました。

そう・・・「也門」 Ye men  は中国語で読めばそのままイエメンなのです。
辞書さえ引いていればとっくに理解できた単語だったのですが、
漢字の意味から馬鹿な妄想を膨らましてしまって赤っ恥をかきました。
皆さんはしっかり辞書を引きましょう。


何時の間に▼(2004年10月21日)

先日、もと同僚と釣りに行ってきました。釣れませんでしたがいい気分転換になりました。

その時、6月に世界へ旅立った同僚が帰国している話しが出ました!

「意地でも世界を回ってきますよ!」

その言葉はなんと8月半ばには崩れ去っていたのだという・・・。

7月には元気にインドにいることをこの雑記録でも紹介したがまさかこんな早くに夢破れて帰国していたとは。

さっそく呼び出して尋問が始まった(ただの食事会)のだが、ミャンマーから始まった体調不良がインドでも続き、

トルコまでたどり着いたがそれ以上は無理と判断して帰国したのだという。帰国後は熱とジンマシン等に悩まされ続

け病院にも行ったのだが原因も分からず「もぅ俺ダメかも・・・」と思ったこともあったとか・・・。なんにしろ元気になっ

てよかったです。政権交代で騒がしいミャンマーでは人が良くて実に快適な旅ができたと言う話だ。しかし

インドでは毎日のカレーに飽き飽きし、ガンジス河に感動を覚えたものの、不衛生さには驚愕したといいます。

流れ着く何処の誰とも分からぬ死体、それを貪るように食べる野良犬、そんな河で毎日沐浴するインド人・・・、

かなりのカルチャーショックであったらしい。日本人はインドでは鴨ネギであるらしく女性も随分狙われており、

日本人女性のレイプ事件なんかも新聞に掲載されていたらしい。彼自身は毒を盛られそうになったこともあったと

か!インドでは日本人に毒を盛って病院に担ぎ込み、旅行保険を使って多額の治療費を請求する犯罪が横行して

いるのだという・・・

「っていうかお前が毒を盛られてたんじゃないの?」

と突っ込んでしまった。とりあえず帰国して、日本はいい国だとあらためて感じたそうです。

というわけで、彼の世界旅行記はこれにて終了となってしまいました。