2004年7月

香港回帰7周年▼2004年07月01日
  早いもので香港が中国に回帰して7年が経ちました。当時私は留学先の洛陽でテレビを見ながら香港返還の式典
を見ていました。元気よく胸を張る中国代表に比べ、しおれたような英国代表が印象的だった。学校の先生たちも
笑顔満面で、私も担任の先生に電話で祝福の言葉を贈った記憶がある。知り合いの中国人の中には中国に帰っ
てきたって自由にいけないのでは意味無いよ、なんて文句を言う者もいたが大方の中国人は喜んでいた。
その反面旅先で出会った香港人は極端に嫌がっていた。

「これで香港の民主化は遠のいたな。共産党に支配されて民主があるわけ無いだろ。一国二制度なんてそう
そう上手くいくものか。イギリス籍を取得しておいて良かったよ・・・」

実に生々しい意見だった。

そして今日2004年07月01日

民主化要求デモに53万人…香港返還7周年
 【香港=若山樹一郎、関泰晴】香港が英国から中国に返還されて7周年となる1日、香港の中心部で、行政長官
の直接選挙などを求める民主化要求デモが行われ、最高気温が34度を超える猛暑のなか、主催者発表で約53
万人の市民が参加した。返還記念日の大規模デモは、昨年に続いて2回目。主催した民主派諸団体は当初「30万
人」の参加を見込んでいたが、昨年の50万人を上回る規模となった
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040701-00000314-yom-int

旅先で出会った香港人の言っていたことはやはり的を得ていたようだ・・・。

そういえば私は中国滞在は長かったけど、一度も香港へは行ったこと無いなぁ・・・。


公安の暴力▼2004年07月10日
私が中国へ留学して初めて見たあからさまな公安の暴力は天津の駅前だった。
  90年代前半のことである。中国旅行をした事のある方ならわかると思うが、都会の駅前には地方からの出稼ぎ労
働者等がチケットを求めて、あるいは列車待ちの為、あっちこっちでたむろしている。トランプで賭博をやる者、布団
をひいて寝ている者、食事をする者、ただボーっと汽車を待つ者・・・色々だ!私が天津を訪れたその帰り、天津站
の広場には無数の人民がたむろをしていた。その時、駅前の風紀を取り締まる公安であろうか、数人でたむろして
いる人民に駅前から移動するように注意し始めた・・・。しぶしぶながらも退き始める人民・・・。中には納得いかない
のか公安を無視する人民もいた。すると突然公安の一人が強引に人民を引きずって移動させようとした。必死に抵
抗して手を振り解こうとする人民!なにか喚いているようだがよくわからない。すると公安は移動させようとしたのを
あきらめたのか突然何か怒鳴ったと思うとサッカーボールを蹴るように人民の背中や足を蹴りはじめたのだ!思わ
ず「うおっ」と声を出してしまう程強烈な蹴りだ!「バシッ、ドカッ」と音が聞こえる。な、なにもそこまでしなくても・・・。
そんなことをこちらに思わせるような光景だった、五発は蹴られてたな。幸いにも蹴られていた人民が逃げ出したの
で事なきを得たようだが、他にも蹴られた人民は数人いた。するとスーッと周りの人民が退き始める・・・。確かにあんな光景を見せられたら移動せざるを得ないだろう。

でも何故か「これも一つの方法なんだろうな・・・」と思ったりもする。

この話を北京に帰って友人にしたところ・・・

「言っても聞かない奴は殴るしかなかろう、殴られなきゃ分からない奴も悪い!要は動物は痛めつけて教育
しろって事だ。公安はさすがに人民の教育方法を知ってるな。」


っと、こんな答えが返って来た(^_^;)。


国有国法、家有家規
国には国の法があり、家には家の規則がある・・・という意味だ。
とすれば中国には中国の治め方が有り中国なりの人権がある・・・ということか。

考えさせられる出来事ではあったが、外国人の私がどうこうできる問題でもないし、
触らぬ神(権力)に祟り無しって事でそういう場面に出くわしても遠望を決め込む私である。



出身地はどこ?▼2004年07月13日

「何処だか当てたら答えてあげる、外れたら教えない♪」

  旅の途中、人民に出身地を質問されると私はまずこう答える。なぜかというと答えたくないとき、仮に当てられても
「違う!」と言い続ける事ができる楽な返答だからだ。日本人と聞いて良くも悪くも顔色が変わる中国人はこれで様
子を見るに限る。私はよく南方の出身と勘違いされることが多かったので(たぶん発音が下手なため)南方の地名
が出ると「差不多」(この場合その辺だよ、というニュアンス)とごまかしてしまう。外国から来たことを勘繰られると華
僑ということにして切り抜けることもあった。
  中国を旅なれた人は分かると思うが、駅や車内で販売される雑誌や新聞には結構カゲキな内容の文面が多い。
要はつまらない車内での時間を面白く過ごすためで、イメージ的には東スポみたいなものであろうか。情事、犯罪、
政治腐敗、時には日本の軍事や日本の中国への再侵攻を煽るような文面もある。人によりけりだが、日本人と分か
ると歴史問題やら靖国問題など質問攻めにあうことが多い。さすがに車内で暴力を振るわれるようなことは無いが、
言い争いにでも発展しようものなら列車では隣のコンパートメントからも見物に来たりするし、バスの中では車内全
体に特殊な雰囲気が漂うことになるので非常に面倒なのだ。一度私が日本人である事が分かり隣のコンパートメン
トから私の話を聞きに来たり、すれ違いに「小日本」とか「鬼子」とささやかれることもあった。もちろん日本人だと
分かるととても友好的に接してくれる中国人の方が多いのであるが、それはそれ、旅先での面倒はできるだけ
避けたい。

  洛陽から北京に向かう列車の中で一度こんなことがあった。コンパートメントの中で日本批判が始まったのだ。い
たたまれない私は通路で外を眺めていたりしたのだが、下段ベッドだったので寝るために部屋に戻ると否応無しに
話に巻き込まれ、話に頷いてやるはめになった。少々腹も立ったが、南方人で通しきった私は、翌日北京に着く最
後の最後で日本批判の頭だった人民の前で乗務員にチケットを返す時を見計らってわざと引き換えチケットをパス
ポートから出す振りをして乗務員に見せた。乗務員は「へぇ〜、あんた日本人なんだ。気がつかなかったよ。学
生かい?」と聞かれたので「はい、洛陽で勉強してます」と周りに聞こえるように答えた。そして荷物をまとめると、
気まずそうにしている三人の人民をチラッと見て笑顔「じゃぁ、ここでお別れです。荷物が重いから先に出てま
すね」と出口に向かった。この時の人民の顔は可笑しかった。まさか一緒になって日本批判に頷いていた若造が日
本人だとは思わなかったらしく、およいだ目と作り笑顔「再見」なんて言っていた。この時は私のささやかな仕返し
だったわけだが、実際中国人は日本人の前では建前と本音を使い分けていることが多いので、出身地を「語らず
明かさず」でいると中国人民の本音が聞けて面白いのである。


男?女?▼2004年07月17日
  中国留学中、私はロン毛にしていた時期がある・・・(^_^;)。
当時(90年代前半)の中国ではロン毛は珍しく何処に行くにも後ろ指差されることが多かった。
  93年5月の永年の太極拳聯誼会の時、髪を後ろに束ねていた私が人民のトイレで用(小)をたしていると入って来
た人民が一瞬ひるんだり、女性と勘違いして一度外に出て看板を確かめたりした。具体的な中国語は忘れてしまっ
たが驚いたのがトイレに入ろうとする私に、

「ここは違うぞ!」

といわれた事で、

すかさず私は

「僕は男です」

と言って入った記憶があります。古い町並みの残る永年城の中では後ろから走ってきた子供達が走り抜けた後、く
るっと振り返りキャッキャと喚き散らし、見世物状態になり参った・・・。
  同じく93年の12月の山西省太原でもそうだった。寒さに耐え切れず毛糸のセーターを買おうと友人と共に百貨大
楼を訪れた時、服務員達が私を見てザワザワ騒ぎ始め客も含めて何処からともなく人が集まり始めた。

「見てるよ見てるよ、こっち見てるよ!怖え〜、どんどん集まってくるよ!
嘉飛お前だよお前・・・近寄るなよ!」

僕から離れようとする友人を追いながら僕もその場を逃げた記憶がある。

「もうお前とは一緒に行動したくない」

とは友人が私に言った愚痴です(苦笑)。

 当時太原には全然有名ではない漢堡(ハンバーガ)ショップが一店あった。確かイタリアだかフランスだかのハンバ
ーガーショップのチェーン店との話だった。そこで食事を取った時も女性店員にじろじろ見られた。でもちょっと反応
が違って、そのうちの一人が話しかけてきた。

「あのー、もしかして電影演員(映画俳優)ですか?」

彼女達店員は僕を俳優と勘違いしたらしいのです。しかしこれは決して私がイケてるとかカッコイイとか言うもので
はなく単に髪が長かったから・・・(ToT)。私は自分の出自を明かすと、

「そこまで髪を長くする男性はこの辺ではいません。だから南方から撮影に来た電影演員かと思ったんです」

という事でした・・・。

今でこそロン毛どころかメッシュまでいれてる人民もいるが、当時は珍しかったのだ。

肌の色が比較的白い私はタクシーに乗るときも

「お前はか?」

と開口一番そう聞かれた!始めの頃は

「どっちだー?」

なんて言っていた事もあったが、段々面倒くさくなってしまい

だ!」

としか言わなくなった・・・。
そんな時・・・あれは天津に行ったときの話だったはずだ。
タクシーを捕まえて乗り込んだとき私の容貌をみたタクシーの運転手が開口一番、お約束どおりの言葉
私に言ってきた!

運転手「お前はか?」

嘉飛「だ!!」



嘉飛「ち、違う。!間違えた!」

いつもか?」と聞かれるので逆にか?」と聞かれたために
反射的に逆に答えてしまったのだ(大笑)。

ロン毛だった私はその後、辮髪にして記念写真を撮りスキンヘッドにしてしまった。ロン毛だった頃の写真は意外と
少なく辮髪にする直前の写真もフィルムが無くて撮れていない。
でもその数少ないロン毛写真を見て思うことだが・・・我ながらキモイ(-_-;)



日中ニューアイドル▼2004年07月19日

ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040718-00000013-maip-bus_all

バンダイが中国市場への進出をかけてニューキャラクターを出してきた。その名も・・・

「点心パンダ」(点心熊猫)

すでに日本と中国でぬいぐるみも発売されているらしく、アニメ化の話もあるとか。
日中友好の架け橋となるキャラクターに育ってくれればなぁと思う。

この写真を見る限り個人的にはあんまり可愛いとは思わないのだが、
問題は一体各キャラクターが点心の何を模っているかだ・・・。ちょっと考えてみた。


真ん中の大きなこのパンダはきっと肉まん(肉包子)

下段右端のいかにも悪そうなこのパンダはこの頭のつままれた感じからしてギョウザ(餃子)

上段のパンダ三兄弟はよれよれした皮に何かが載っているから日本式?シュウマイ(焼麦)

上段左端は器に入っているから汁物がらみ・・・きっとワンタン(食昆 飩 )

5匹いるこれは包子の小さいものだから・・・寿桃包でしょう?!(桃を模った甘い包子)

下段左端のこの麻疹にかかったような顔は胡麻団子(麻団)・・・かな?


下段左から2番目のこいつは・・・・・分からん!な、なんだこれは!?
他の点心は食べたことがあるが、こいつは食べたことがあるのか?
んー、俵のように見えるがそんな点心はあったか?

思わず辞典を引いて点心を色々探してみたがそれらしきものは無い。
仕方なくバンダイのキャラクターサイトを覗いてみたら・・・
なんと、月餅だった!(もう少し平べったくても・・・)


バンダイの点心パンダサイト
ttp://www.bandai.co.jp/tenshin/index.html

驚いたことにこのサイトではこの点心パンダのキャラクターが細かく紹介してあった。♂♀まで分けてあり性格まで紹
介してあった。ちなみにこの月餅パンダお色気キャラクターらしい。




あと、いかにも悪そうな餃子パンダはぬいぐるみの写真写りが悪いだけのようだ。


キャラクターの想像はおおよそ当たっていたが、間違っていたのがこの4匹だ。これは小籠包四重奏というもので、
それぞれ具の中身が違うらしい!でも、バンダイの紹介では「小龍包」となっていたがこれは間違ったのか、それと
もねらったのか・・・それは不明。



そしてこの子こそが寿桃包だった。日本名は桃饅頭パンダだそうな。



てっきり上の4匹と同じかと思ってたけど比べてみれば確かに上半分がうっすらと色がついているし、首元がに何か
が巻いてある・・・スカーフを模った桃の葉か?


んー、写真では可愛さがあんまり出ていなかったが、絵を見ると結構可愛いかも!
ちょっとどんなアニメになるか楽しみになってきた。是非成功して欲しい!
中国には点心が色々あるからこれからも色々なパンダが生み出される事でしょう!
餅干パンダ、麻花パンダ、元宵パンダ、豆沙包パンダ・・・色々できそうだ。できれば太極拳を使うパンダも出てき
て欲しいところだ!私の好きな河南の肉焼餅かなんかで!!

ちなみに粽子パンダが出てくるとしたらは頭が三角になるのかな・・・?



ともかく日中をつなぐ新しいキャラクターの活躍に期待します。
バンダイの点心熊猫サイトではアンケートも取っているようなので、
自分の好きな点心がキャラになるチャンスもあるかも!
ttp://www.bandai.co.jp/tenshin/index.html

おしらせ
7/17〜8/31まで夏期限定の専門ショップが池袋サンシャイン(文化会館B1F)に登場!
肉まんパンダに、桃饅頭、餃子や小龍包(ショウロンポウ)と全13種類の「点心熊猫(てんしんパンダ)」がぬ
いぐるみで勢ぞろい!肉まんパンダがくっついたマグカップや箸置き、皿など食器類もあるよ!!さぁ、みん
なで買いに行こう!!



著作権で叱られるのが怖いので・・・ちょっとごますり。













でも・・・動物(パンダ)と食べ物繋がりでキャラクターが出て来たりするのって・・・、
アン○ンマンにハ○スターアニメを足して中国で割ったような感じに思うのは私だけ・・・?


▲一人っ子▼2004年07月27日

ご存知のとおり中国では一人っ子政策がある。
これは膨らみすぎた人口を少しでも抑制しようという中国政府の政策だ・・・。詳しくは知らないが、毛沢東の在任
中、人口の増加を促す政策がとられていたとか・・・。その後、増えた人口を減らす方向転換が重要視された。それ
で出てきたのが一人っ子政策なのだが、政策の実施後、子供を自由に生むことすらできず、許可無く出産して見つ
かった場合、その子供が殺されてしまったというほど厳しい時期もあったという・・・。政策を守れず妊娠してしまい生
んだ母親が銃殺された、なんて話も聞いたこともある。産気づいて病院に運ばれる途中、届出を出していないことが
ばれてしまったために、途中で生まれてしまった赤子を道端の厠に捨てて殺された・・・ってな話も聞かされた。身の
毛もよだつ話だがこう言った話は中国各地にあるらしい。

 現在も一人っ子政策は中国の重要な政策であることに変わりは無いが、以前と比べ大分緩くなってきているとい
う。現に私の知り合いの農民は多い人で3人もの子供がいる。
「国は注意しないの?」と聞くと、「役人と仲良くなって、袖の下を握らせれば農村では問題ないよ、(赤子を抱きなが
ら)この子も2000元で生むことができたんだ!」と喜んでいた・・・。
もちろん私にはその値段が安いのか高いのか・・・なんとも言えないところだが、結局中国では

「政府の沙汰も金次第」

ということか・・・。地域や民族、また農村では一部一人っ子政策が緩められ、二人までは許されることがある。特に
農村の男子は大事な働き手であるから、第一子が女なら第二子の出産を許すとか・・・。行政が行き届かない農村
などではそれこそ村社会で取り決めたりすることが多いらしく、届出を出さず、子供を生みっぱなし状態でいることは
多い。当然戸籍に載らないからいざという時、政府の保護は受けられないし、学校にいけないこともある。知人に8
歳にになる子供がいるのだが、実は黒孩子(戸籍が無い子)と知ったときは待ち受ける今後の人生を思うと、可愛
らしいその笑顔を凝視できなかったなぁ・・・・。しかし幸運なことに当時中国は国を挙げての人口調査を行っており、
その機会にきちんと戸籍に登録してもらえたのだ!
思わず「よかったなぁ・・・」と友人と喜んだものだ。


<中国>赤ちゃん118人売買、主犯6人に死刑
中国広西チワン族自治区や安徽省などで赤ちゃん118人を売買していたグループが摘発され、26日までに、事件
に関与した被告52人のうち主犯格6人に死刑、45人に無期懲役などの判決が言い渡された。被告の多くは産婦
人科医師や看護師で、赤ちゃん1人につき引き渡し手数料として100〜200元を受け取っていた。(毎日新聞)
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040727-00002053-mai-int


先日、こんなニュースがあったわけだ。今でも中国では子供の売り買いは多い。特に農村部の女子は売り買いの対
象になるらしい。例えば息子が貧しい農村の跡継ぎだと嫁が来ることはまず無いから、なけなしの貯金をはたいて
口減らしの農村の女子や売られている女子を買って労働者兼息子の嫁として養育することが最近まで頻繁にあった
というからこのニュースもそれに連なる案件だろう。少し異なるが、地方都市に住む友人の弟は障害を持っていたた
めに将来面倒を見る者がいないと困るため、小さくても都市に出て来たい農村の娘を嫁にすることで将来の問題を
解決したらしい。身近な人物だけにこれを聞いたとき結構ショックだったな・・・。

少々重い話になってしまったが、一人っ子政策の下、大都会で生まれる小皇帝と地方の貧しい子供達の境遇を比
べるとそのあまりに違う条件に時には目を背けたくなることもあった。


インドから元気で〜す?▼2004年07月29日

  先月、雑記録で簡単に紹介したが世界旅行へ旅立った元同僚から連絡が入った!タイを抜けミャンマー、そして
インドに入ったらしい。バラナシ(ベナレス)という街のガンジス河の前にあるホテルに泊まっているとの事だ。旅が
とても楽しいらしく文面から喜びようがにじみ出ている、はっきり言ってやろう「うらやましいぜ!」ただ、ミャンマー
で食べたものがあたったらしくインドに入ってカルカッタ一週間入院してしまったとか・・・。ま、外国を旅する洗
礼を受けたということでしょう。少しずつお腹の中の微生物・・・要は「虫」の量を増やしていけば病気もかからなくな
るでしょうし、多少悪いものを食べても耐えられるようにはなるでしょう。



なんにしろ無事で何より!生きてて良かったよ!


でも、行った先々で色々体験しているらしく

ミャンマー人最高!インド人最悪!!

ということだ。行ったことの無い私はよく分からないが、
その基準がカレーの辛さでないことは確からしい・・・。