2004年6月

北朝鮮の思い出▼2004年06月04日
  現在、北朝鮮といえば「拉致問題」で世間を騒がせています。日本国民として早い解決を望みます。さて、私は北
朝鮮人とはほとんど接点がない普通の日本人ですが、唯一中国留学中に半年ほど接点がありました。北京語言学
院留学時代の同学(クラスメイト)に北朝鮮人の留学生がいたからです。お互い未熟な中国語を使い交流をすること
ができました。呉という名字だったという記憶がありますが、かれこれ10年以上も前のことですのではっきりしませ
ん。温厚でなかなかさわやかな好人物であった記憶があります。学院の旅行や年末のクリスマス会等でも親しくして
いただきました。ご馳走していただいた海苔巻きはごま油の利いた美味しいものでした。
  当時、北朝鮮の食糧問題などが表面化した時期であったため、呉君に北朝鮮の経済や食糧事情を聞いたことが
ありますが「そんなことないよ」とあっさりかわされました。こちらも深く突っ込むことはしませんでしたし、そんな語学
能力もありませんでしたから・・・。
  一定の距離を保ちつつも同学として交流がありましたが、「やっぱり共産国だな・・・」と感じさせられたことがありま
した。それは呉君の部屋を訪ねた時のことです。当時、語言学院には塔楼という東西に分かれた宿舎がありまし
た。基本的に西側諸国の学生は西塔楼に多く、東側諸国、もしくは第三世界の学生は東塔楼に多くすんでいた記憶
があります(現在はわかりません)。で、北朝鮮の学生は東塔楼の高層部に多くすんでいた気がします。私が呉君の
住む部屋のある階に赴いたとき、その味気ないひっそりとした雰囲気と充満するキムチの臭気に西塔楼とは全然違
う感じを覚えました。私が一番驚いたのが「見張り」でした。呉君の部屋に入ると同屋(ルームメイト)がいました。挨
拶をすると笑顔で答えてくれましたが、暫らくするとすぅーっと部屋から消え時々他の朝鮮人が部屋を覗きに来たの
です。廊下にでてもチラッ、チラッと見え隠れする人の影はさすがに気味悪いものでした。呉君も私という「日本人」と
何時までもその場で一緒にいるのが気まずかったのか、一緒に外に出ることになりました。私は外に出てあらため
て「見張られていた」ことを聞かされました。呉君もいささかこの相互の見張りに関しては嫌気がさしているようでした
が「仕方がない」とこぼしていたのが印象に残っています。外で外国人と交流しても見張られているという話も聞きま
した。
  その後、クラスが変わった(単に落ちこぼれた)私は呉君との交流もなくなり、その後彼がどのような進路を取った
のかわかりませんが、中国と韓国の国交正常化という節目も迎え北朝鮮留学生は減っていき、韓国の留学生が格
段に増えていきました。他の国の学生であるなら「元気かなぁ」という言葉で懐かしむこともできますが、こと呉君に
おいては「生きているのかなぁ・・・」と言ってしまうのは仕方のないことでしょうか・・・。



▲相撲公演▼2004年06月07日
  現在、日本の国技大相撲が中国で31年ぶりに公演されていて好評だそうです。日本人としてうれしい限りです。中
国留学中、武術が趣味であったことから武術家と面会したことが多いのですが相撲の話もよく話題に上り、コミュニ
ケーションネタの一つとして何度か使わせていただきました。福昌堂「武術」の西安取材に付き合い中国武術界の
最高峰・馬賢達老師にお会いしたときも相撲の話題がでました。日中武術文化交流の研究に相撲は欠かせないよ
うです!(苗刀と日本刀の話もなかなか面白かった)残念ながら馬賢達老師の取材内容は公開する事無く終わって
しまいそうです・・・といっても実はこちらが「どうしようかな・・・」と考えてしまうような裏話ばかりで記事にしにくいもの
がほとんどでした。通訳していても「ええ?本当ですか!」と仕事を忘れて個人的に質問してしまうほど面白かったん
だよなぁ・・・残念。
  さて、現在角界では横綱・朝青龍ほかモンゴル勢が、少し前まではハワイ勢が活躍していました。そして国際化が
進む中でとうとう中国から入門者がでたそうです。中国では力士の巨大な体格を見て「太りすぎ!」とあまりいい反応
をしなかった中国人が多かったので意外でした!是非頑張って欲しいですね!

東関部屋に中国から入門者
  2003年9月27日:東関部屋に先月下旬、中国出身としては初めての高世強(こう・せきょう)が入門。193cm/
127kgのガッシリした体型は高見盛にそっくり。柔道、砲丸投げの経験があるが相撲は初心者。体が硬く、股割りも
出来ないが、前向きな姿勢も高見盛に似ているとか。四股の踏み方から教えている高見盛は「違う環境で言葉の問
題もあるし、これから大変でしょう」と気遣っているそうです。 
「おすもうのお部屋」のお相撲ニュースより
ttp://www.bekkoame.ne.jp/i/gb3303/favortop.html

「中国網」でも紹介されていました。
「日本で相撲力士となった中国人」(たぶんこんな題名)
ttp://www.china.com.cn/chinese/ChineseCommunity/545243.htm

みんなで応援してあげよう!


▲旅立ち〜!▼2004年06月09日
  本日、前仕事場の同僚が世界旅行に旅立ちます。まずタイに行き、バックパッカー情報を頼りにアジア、ヨーロッ
パ、アメリカへと無計画な旅を続けながら世界を徘徊するらしい・・・。

「旅費がなくなったら働きながら旅を続けます・・・」

と就労ビザや言葉の問題を無視した旅立ちとのことです。何もかもが未定での旅立ちらしいですから今後どうなるか
はわかりません。せめて命だけは持ち帰って欲しいですね。

競馬が好きな彼が外国の競馬で旅行資金をすりませんように・・・。



▲生ゴミ餃子▼2004年06月14日
  ここ数日、韓国産の餃子に腐敗した内容物を使っていたという話題が上がっています。しかし、こうした話題は韓
国だけではなく留学時の中国でも似たようなものがありました。病気で死んだ豚肉を使用した冷凍餃子とか腐った
内容物を使用した冷凍包子とか・・・。自炊が面倒な時に冷凍食品にお世話になっていた私は幸いにも当たる事無く
こうして生きているのはうれしいことです。何せ死人が出たとかいう噂もあったし・・・。仲間からは単に長期の滞在で
免疫があったのでは?なんて笑われますが、こんな私でも急性腸炎で何度か苦しみを味わっています。一週間苦し
みました・・・体重も5キロ減りましたし。私の知人ではA型肝炎にかかって入院した者が二人もいましたし、赤痢で入
院した知人もいました。悲惨だなぁ・・・と思ったのは当人の病状の苦しさもありましたが、隔離された病棟に入り、ま
た住んでいた部屋にある多くのものが消毒対象となり、口に入るものはおおよそ焼却処分されたことでしょう。まるで
バイキン扱いされる罪無き私物の処分は見ていていたたまれない気持ちになりました。
  中国では近年劣悪な食品が市場に出回るという事件が多発しています。病死した家畜の肉を使用した火腿(ハ
ム)や香腸(ソーセージ)は有名です。水滸伝の孫二娘じゃないですが人肉を使用した包子が出回ったなんていう噂
も聞いたことがあります。つい最近では劣悪な粉ミルクが出回り多くの幼児に被害が出ていたとも・・・。近年の日本
は衣食の多くを中国から輸入していますが、やはり気をつけないといけないのでしょうかね・・・。

 

▲スイカ割り▼2004年06月28日
  この季節、日本は梅雨真っ盛りです。北京は・・・どうだったかな?もはや記憶はあいまいだがはっきりしているの
が「卒業の季節」だった、ということだ。北京語言学院を本科生で卒業する人、進修生として卒業し他校へ移る人
等、学生の出入りが多くなる季節なのだ。
  そんな中、私が住んでいた西塔楼には語言学院を離れる学生を見送る儀式が存在した。
それが「スイカ割り」である。
  
  さて、スイカ割りの前に当時の塔楼の事情を述べましょう。中国留学熱の始まりであった当時、留学生の増加によ
って宿舎は慢性的に部屋不足であったらしい。私の住んでいた西塔楼でも部屋不足の影響の下、1人部屋が取れ
ない学生が多かった。塔楼は語言学院の中でも一番格安な宿舎であったため競争率は高かったのではないでしょ
うか・・・。「私も一人部屋を取るのに苦労した・・・」と言いたいところですが、1人部屋を取るつもりもなかったところ
に同屋(ルームメイト)であったアメリカ人のおじさんが部屋を移ったため、「どうしようかなぁ」と悩みつつ1人分の費
用で3週間ほど1人部屋を満喫、後釜が決まる前に1人部屋を申請したらあっという間に取れてしまい、一部苦労し
て申請している人の不評を買ってしまったのだが・・・。
  なんにしろ1人部屋を申請している学生の不満の矛先は部屋をなかなか準備できない塔楼の管理人であるLiu主
任へ向いていたことは間違いはなかった。学生同士で相談して1人部屋になる部屋を都合したり譲り合ったり苦心し
ていたにもかかわらず許可を出さなかったり、その反面私のように簡単に1人部屋を取れた者がいたりと仕事にム
ラがあったのだ。一部では袖の下しだいで部屋を都合つけたりとか、贈り物をして都合つけたりとか噂もあった
し・・・。
っとまあ、この塔楼の管理人であるLiu主任は好かれていなかったということなんですわ!

  で、スイカ割りに話を戻しましょう。
  スイカ割りといえば目隠しをした人物が周りのアドバイスに随いながら棒でスイカを叩き割るという日本の夏を代表
するリクリエーションであるから日本人なら誰でも知っているでしょう。私も「孫六〜(私の事)スイカ割りするぞ〜」と
声がかかった時はそう思っていました。しかし、ここ語言学院ではそうではなかったのです。・・・私の予想を超えたス
イカ割り?だったのです。
仲間内のリーダー格であるSさんが帰国することになりそのお別れの挨拶代わりに敢行するという話でした。で
も・・・スイカ割りなのに何故か棒が無い・・・目隠しも無い・・・おまけにみんな外ではなく西塔楼7階の狭いベランダに
集まっている・・・実に不思議です。
そしてSさんがこういいました。

「え〜今から恒例のスイカ割りを行います。皆さん準備はいいですか?」

スイカを持ち上げベランダの外に突き出します。そして・・・

「さぁ、みなさんご一緒に!」

「死ね!!Liu!!!」

と叫ぶとスイカをヒョイっと投げ捨てたのです!

みるみる小さくなるスイカ・・・そして



「ドッカーン!!!」

かなりの音と共にスイカが砕け散ります。

  みんな見とどけるや「キャッキャッ」と喜びながら逃げます。暫らくしてスイカを落した場所を見に行ってみると粉々
になったスイカの破片が散乱していました。そうです・・・スイカ割りとは名ばかりの「スイカ落し」だったわけです。お
まけに落した場所というのが塔楼を管理するLiu主任の辧公室(事務室みたいなもの)の真上だったのです!。お分
かりでしょう?そうです・・・みんな部屋の問題でLiu主任へ恨みを持つ学生の集まりだったわけです(笑)。「この儀
式は語言学院の伝統として伝える!」なんて言っていましたが、今は伝わっているのだろうか(笑)?



イメージ画像↑

私は語言学院を離れるまで3回このスイカ割りに参加しました。
(そのうちの1回は私が卒業するときも含まれています。住んでいた階から落すことになっていたので私の場合14階
からでした。さすがに選んだスイカは小さめでした)

ちなみに私が語言学院に在学していた約10ヶ月の間、2人の外国人がこの塔楼で飛び降り自殺をしました・・・。
いま考えると、この「スイカ割り」は洒落にならない火遊びに思えて仕方がありません(^^;)

  このスイカ割りに参加していた1人に、中国人の奥さんをもらっらTさんという方がいらっしゃいましたが、この「スイ
カ落し」を奥さんに「スイカ割り」として見物させた後、本物のスイカ割りを教えないままTさんより先に日本へ行か
せてしまったので、その中国の奥さんは暫らくの間、この「スイカ落し」を日本の「スイカ割り」として認識していたと
いう話です。

後にも先にもこんな儀式は初めてでした。


▲故宮の改修工事▼2004年06月30日
世界遺産にも登録されている北京の故宮が百年ぶりの大々的な改修工事に入ったと報道があった。

ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040629-00000008-scn-int

  これまでにも改修工事がされているところは参観時に見たことはあったが、報道写真の様にあそこまで足場が組
まれて改修工事がされているのは初めて見た。私は合計5回ほど故宮参観をしたことがあったが必ずどこかは改修
工事をしていた記憶がある。あれだけの規模の建築物では途方も無い時間と費用がかかるであろう事は予想され
るが、このような工事ができるということは中国という国の財政に余裕が出てきたということでしょう。文物保全のた
めにはいいことだ!気になるのが改修の質です。知ってのとおり中国では建築工事には多くの出稼ぎ労働者の民
工が働きます。レンガを積み上げるような工事ならまだしも、故宮のような世界遺産を修理できるような専門の民工
はいったいどれだけいるのだろう?国を挙げての改修工事だから当然選りすぐりの「仕事人」が働くのだろうが、な
んとなく気になってしまう・・・。 だって、私が参観した時、金箔を貼り間違えてしまった場面に出くわしてしまい、「あ
〜あ・・・」と声をあげる私をよそに「没事儿、没事儿」(問題ない、問題ない)と笑顔で微笑む民工の姿が忘れられな
いのですもの・・・。