西北旅行<4>



午前8:30分に出発、午前11:30に到着した。途中の道は結構不整備な箇所が多く、結構揺れた。途中放牧され
た馬がのんびりと草を食む姿も見ることもできる。山道に入ると風景は一変し、中国とは思えないような景色が続い
た。ツアー添乗員の話では天池近辺では野生のユキヒョウや山羊が今でも見られるとのこと・・・・・91年の西安で見
たユキヒョウの毛皮はここで捕られたものなのだろうか。
ツアーによっては万年雪をたたえる山のふもとまで馬で遊びにいけるらしい。
行きたかったなぁ〜

   
写真では綺麗に写るこの天池・・・しかし岸辺では人民どもが無造作に捨てたペットボトルやタバコの吸殻などが結
構浮いていてがっかり・・・遊覧船に乗ってくつろいでいても目の前で人民がどんどんタバコやゴミを捨てていた。観
光地化が進めば更に汚れて行くんだろうなぁ。

    
地元の子供が裸で岸辺にいる光景は見れたが泳いでいる姿はほとんど見なかった。
冷たすぎて泳ぐ人は稀なんだとか。「泳げる?」と訊ねたら「死んじゃうよ」と返ってきた(^_^;)

天池の傍にある黒龍潭。なんで黒龍というかは不明・・・。

    
黒龍潭から流れ落ちる滝。天気がいいと右の写真のように虹が見えます。




  
左のゲルの前では鷹の剥製や狐の毛皮がが飾られています。右は後々食べられてしまうであろう子山羊。ここでは
カザフの方々に塩の入ったミルクティーと冷えてカチカチに固まったナンを併せていただきました。


私を馬に乗せてくれたカザフ族の少年達。時間いっぱい、好き放題乗り回させてもらったのでチップもはずんであげ
ました。この天池の周りには変わった草が生えていて私が手に取ろうとしたところこの少年に猛烈に注意された!
・・・しかし時すでに遅し、葉の裏側にびっしりと生えた棘に私の手はすっかり刺されていたのでした。少年達には随
分心配をかけてしまった。血が出るようなことは無かったですが、結構チクチクして痛かったです(T_T)


泊まることもできる施設もあったのですが、時間の都合で帰路につくことに。
後ろ髪引かれる思いでバスに乗り込んだ私はいつの間にか熟睡状態。
気づいたときには風光明媚な地域は過ぎ、砂煙舞う荒地だった。


すっかり天池の旅を満足した私は部屋に帰ってびっくり!先日のGさんがトルファンに行ってしまったために新しい
住人が!驚いたのがその容貌!サンタクロースのようにヒゲを伸ばした欧米人ではないか!思わず部屋番号と自
分の荷物を確認してしまいました。英語がまったくダメな私・・・中国語も日本語もまったくダメな彼・・・お互い身振り
手振りで結構楽しい一時を過ごしました。47歳のスイス人である彼はパキスタンから入国してきたとのこと。世界中
を旅してまわっているらしく、このまま東へ向かい日本へ行くと張り切っていた。今更ですが、彼は無事に日本へ着
けただろうか。その後、暫らくしてGさんがトルファンから日帰りで戻ってきた。私の部屋に入ろうと思っていたらしい
が間に合わなかったらしい。ウルムチ、トルファン間とトルファン周囲の観光地を全てタクシーで回ってきたと言う話
だった。 



 さて・・・この紅山賓館で私はスプライトのペットボトル大瓶を1本購入した。スプライトは中国では「雪碧」と書く。紅
山賓館のロビー隣であったことから安心していた私だったが迂闊であった。部屋に帰って飲んでみると妙に甘ったる
くて炭酸の効きが弱いし何故か薬っぽい・・・そういえばラベルの青色が薄いようにも感じる・・・はっ!ラベルを暫し
覗き込んで私が目にしたものは「雪碧(xue-bi)」ではなく「雲碧 (yun-bi)」なんとに変えて売っていやがっ
たのだ。そりゃー買ったおいらが悪いさ、でも中国ではは簡体字で「云」だもの。そりゃー騙されるって。もし
簡体字ででスプライトが「∃碧」だったら分かるけど、、でもなんです。この紛らわしさにつけこんで
商売するとは・・・!フロントに行ってせめて偽者は売るなと一言抗議した私でした。ちなみに、留学先の洛陽ではこ
ういうものが売られていた。其の名も「海碧 (hai-bi)」英語名はHAPPY上手く考えたなぁ、と思います(^_^)b
味は雲碧より格段に美味しかったですよ。学校帰りによく飲みました。

写真を撮っていなかったことが残念でならない。



紅山賓館の裏手にある紅山
  
紅山から見たウルムチ市街

  この日はウルムチ市街を散策。壊れたサンダルを直しに行ったり裏道歩き回ったり結構楽しかった。ウイグル族
が多いのは当然なのですが漢族も結構多い!現在は西部大開発の大号令の下、漢族資本とともに多くの入植者
が西域である新疆や青海に移住してきているという話であるが更なる「中国化」が進んでいるのであろうか・・・。

街中で売られている品物は漢字が多く、映画の看板も漢字、建物も現代建造物が多く・・・トルファンに比べてあんま
り魅力は感じなかった。まぁ、大都市なんて何処もそんなもんか?と思いつつ少しがっかりした気持ちで街中を歩く。


赴いたウルムチ博物館では楼蘭等で発掘されたミイラ展示されていた。ぼろぼろの布から見える赤く焼けた髪の
毛、褐色に乾燥した肌・・・貴重な文物?なのであろうが自分が死んで後、千年経って展示物として世に復活すると
は思わなかったであろうミイラの主。ちょっと可哀想でもあった。自分だったらやはり嫌ですから・・・。


  さて、このウルムチ市街を散策中に私は日本製のジープ?を見た。別に珍しくも無いのだが、
そのボディには「日中共同取材班」とか「楼蘭」という文字がペイントされていた。
私はてっきり現在取材班がウルムチに来ているのかと思って気になっていた。
帰り道に再び其の場所を通りかかるとジープの運転手がいたので思いきって声をかけてみると・・・

嘉飛「今、日本から取材班が来ているのですか?」

運転手「いや、これは以前日本のTV局が新疆に取材に来たときに持ってきた車で、その払い下げだよ」

残念ながら取材班との出会いは無かったが

「この車で取材したんだ〜、へぇ〜」

と思わず感心してみる我々一行。

  以前まだ私が小さい頃、「楼蘭」を取材する探検隊が組織されNHKで報道された記憶がある。シルクロードを中
心とした歴史文化遺産の報道特集であった気がするが、おそらく昨年(2003)のNHK開局50周年記念で報道された
シルクロードで1980年に放送されたものだろう。取材自体は其の前から行われていたわけだから、かれこれ15年
以上(当時は1995年)経っても元気に走り続けているわけだ!あらためて日本車の性能と耐力に感服!


トルファンから同行したD君F君ではあったがとうとうお別れの時が来ました。
D君は敦煌へ、F君はクチャへと旅立っていった。

「またどこか出会えるといいね、気をつけてね」

二人を見送った私は翌日敦煌へ行くためのチケットを購入し其の日を終えた。


  出発当日は列車の出発時刻が午後7時のためあんまり遠出もできず午前は部屋でゆっくり過ごす。
下手に動いて列車に乗り遅れればまた宿泊費や交通費用がかさむからだ。北京で味わった苦い思いでは
結構心に残っていたわけである。

  午後チェックアウトした後は博物館でもう一度展示物を眺めたり、市場を眺めたりして時間を潰し、
再び紅山賓館で休憩した後、出発一時間前にウルムチ駅に向かう。余裕をもって硬臥席に乗りこんだ私は
安心しタバコ一服!出発までのんびりと硬臥席で人民と話をしていた。
人民は相変わらず私を南方出身の同志と思っていたようですが・・・。

  そんな時、出発寸前で西洋人数人が乗り込んできた。そして私がタバコを吸っているのを見ていきなり睨み付けな
がら文句を言ってきたのだ。どうもタバコの煙が気に食わないらしい。英語がわからない私もさすがに自分が罵られ
ていることが十分に分かるその剣幕!この白人様方はかなりのご立腹でどうもを含めた中国人の喫煙者を非文
明者と罵っているようだった。英語が多少分かる中国人が笑いながら忠告してくれた。ちょっとムカッ腹が立った
私はタバコを片手にヘラヘラしながら小声で一言・・・

「他 ma 的洋鬼子、我要宰了 Ni!」

と言ったら他の人民に聞かれてしまい同じくタバコを吸っていた人民に親指を立てて笑われた。ちょっと複雑な気分
で笑い返す。もし私が日本人だと分かったらきっと「日本鬼子」と言われるだろうなぁ・・・と以後小さくなって過ごす事
になりました(^_^;)

午後7時を過ぎ、遅い夕焼けの中を出発した列車は西域一の都市を背に東へ向かい始めた。
もうちょっと西まで行きたかったのに・・・という私の恋慕の念は陽が暮れて行くとともに消えていったのでした。