西北旅行<1>
夏がく〜れば思い出す〜♪遥かな大地〜青い空♪
中国に留学したからにはいつか必ず行ってみたいと思っていたのが西北の旅行だ!
唐の長安を出発し遠くヨーロッパにまで続くシルクロードは日本にいたときは遠い異国の物語であったが、
留学してしまえば後は 行くだけ!目の前に道は開かれているのだ!そう思って行動に起こしたのが95年の夏、
洛陽に転校した年の夏休みのことだ。それ以前は休みごとに帰国してバイトなどをしていたため長期の
旅行はしたことが無かったからだ。
【出発!?】
細かいプランを立てるのが苦手な私は適当に
「まずは新疆、あとは西から順繰りに東進してくればいいな。余った時間しだいでチベットにも行けそうだし な・・・」実はこの年は二年に一度の永年国際太極拳聯誼会が夏休み明けに開催されるためそれに合わせて河北 の邯鄲まで足を伸ばさなければならなかったのである。よって永年の大会に行く手はずも相談したかった私はまず は北京に行くことになった。
7月17日夜8時の列車に乗り込んだ私は18日に北京へ到着、友人のところでお世話になりつつ北京駅でトルフ ァン行きの切符を予約した。もちろん軟臥である。トルファンまでは三泊四日・・・、正直真夏の炎天下の中、人民と の旅に耐える自信は無かった・・・。前年、武術を学びに行ってその帰路、真夏の炎天下の中、六時間席無しの旅で 仲間同士のじゃれあいで切れてしまい雰囲気が悪くなったことがあったからだ。話が少しそれたが、当時はまだ北 京には西客站はできていないので出発も切符購買も北京站だった。予約には一週間かかり料金も確か六百元くら いかかった記憶がある。
「出発まで北京でどうしてよう?どこに住もう?」
旅行前にあまり金を使いたくなかった私としては切実なる問題であったが、当時まだ知り合いのT村君が語言学院 に残っていたことから居候させていただけることになり暑くてうだる中も楽しく過ごせ、7月29日には予定通りチケッ トを受け取り、31日に出発が正式に決まったのだ。
そして運命の日
友人と食事をして身支度を整えた私は元気よく北京駅へタクシーで向かった。暫らくするとキリキリとお腹が痛み始 め、耐えられなくなった私は東直門付近でタクシーを降りトイレに駆け込んだ!完全に出鼻を挫かれてしまった。腹 痛は何とか収まったものの時計を見ると出発時間が迫っている!急いでタクシーを捕まえ北京站に向かった。駆け 込みセーフ・・・・何とか時間に間に合った私はチケットをポケットから出し、確認のためにパスポートを出した・・・
あぁ??!!な・・・無い!!パスポートが無い!!
安全のためにベルトにつけていたパスポートが入れ物ごと無くなっていたのである!!
「はぅぁ!? さっきのトイレか??」
もはやこれまでである。チケットと費用は手にしていたもののパスポート無しでは旅はできない・・・しかたなくそのま ま先ほどのトイレにパスポートを探しに行った。当然見つからない・・・っていうか人民トイレに落ちたパスポートを使 いたいとは思わないが・・・。
「おれのパスポートも偽造パスポートとなるのかなぁ・・・」
などと考えつつ、万が一も考えて近くの公安局に届出を出し、友人の下へ帰っていった。
「あれ?どうしたの?」
と不思議そうに私を見る友人の視線が痛い・・・。
事の一部始終を話すと「嘉飛の夏は終わったね・・・」と言われ凹んだ・・・。
パスポートの再発行やらそれに伴う出費、時間で夏の旅行は絶望的だったのだ・・・。
翌日、何もする気がない私はだらだらとT村君の部屋で過ごした。
8月2日、パスポートが無いままでは不便なので早速日本領事館に向かい、パスポート再申請の手続きを申し出た のであるがなんと!?公安局から私のパスポートが見つかったと言う連絡が領事館にあったと言うのだ!
「運は我に有り!」(どこが?)
領事館出た私は声をあげて喜び、タクシーを捕まえ昨夜の公安局へ向かった!
先日応対してくれた公安が
「よかったなぁ、一昨日トイレの前で君のパスポートを拾ったご老人がわざわざ届けてくれたんだぞ!昨日君に連絡 を入れたんだが繋がらなかったから領事館に連絡をいれたんだ」
パスポートが見つかったこともうれしかったが、見るからに汚れておらず、
トイレの外で発見されたのだと言う話が実はかな〜りうれしかった!!
公安は取得物の手続きをしながら笑顔で応対してくれる。日頃、あんまりいいイメージの無い公安であったが
この時ばかりは後光が射して見えた!
「届けてくれたおじいさんにお礼がいいたいのだけど・・・」
そう切り出したものの公安は
「気にするな、もう失くすんじゃないぞ!」
そういっておじいさんの連絡先を教えてくれなかった。
「まだまだすてたもんじゃないなぁ!中国人民!!」
自分勝手に満足しつつ帰路についた。
その後、早速北京站へ向かい再び一週間後のトルファン行きのチケットを予約した私は語言学院で友人を頼りに 再び寄宿生活に入ったのである。しかし、パスポートが戻ったことにより「俺はついてる!」と思っていた矢先、暇つ ぶしで友人のM田君とその友人の部屋でプレステをして遊んでいたら、コンセントを挿し間違えてショートさせてし まい、北京では修理できないからとまるまる弁償することになったり・・・顰蹙は買うわ無駄な出費がでるわ時間はロ スするわで全然ついてなかった。
8月9日、再び出発の日である。昼間はM田君のところでビデオを見て過ごし、夕方はこの夏で語言学院を去り、 南昌に転向する小○さんとお別れの夕食をとると出発の一時間半前の午後八時に北京站へ向かった。今回はお腹 の具合も良く無事に到着。
午後9:24分発69次ウルムチ行きの列車に無事乗車。
ようやくにして西北への旅が始まったのである。
つづく
【新疆へ】
列車に乗ると何も無くても(例え夜でも)ひたすら外の景色を見ることが好きな私は随分遅くまで外を眺めていた記憶 がある。何も見えない外を見ることが奇異に映ったのか、それともコソドロと疑われたのか、行き交う乗務員に「お 前は寝ないのか?番号札は?」と何度も聞かれた。時折、席無しの客が乗務員の目を盗んで紛れ混む事がある のでその確認だったのかもしれない・・・。翌日、
寝るのが遅かった私が目覚めた時、すでに留学先の洛陽を過ぎ、 西安に向かっていた・・・。河南から陝西へ向かう景色を見ながら
「北京に行かずに直接出発していればカシュガルやチベットまで行けたろうになぁ・・・」
なんて思いながら北京での失敗を悔やんだ私でした・・・(T_T)
陝西省に入り左手に華山が見えたときには、いつか登ってやると心に誓ったものだが、
その後何度も西安に行くたびにそう思いつつ現在に至るまで実現していない・・・。
西方一の大都市である西安を越えると当時の私にとっては未知の領域に入る。

西安を過ぎ甘粛省付近に来て現われた河。名前は分からないが雨が降った直後なので水が濁ってい た。列車はこの河に沿って暫らく進んだ記憶がある。
日もとっぷりと暮れ頃であろうか、天水駅に着いた。三国志ファンの私にとっては下車して散策したいところであった がここは我慢。必ず帰って来ると誓いつつ、後ろ髪惹かれるような思いで天水を後にした(翌年その誓いは果たされ た)。その後、荒野を走る列車から見える夜景は写真に撮ることはできなかったが、月の光と列車の明かりに照らさ れて印象的であった。
翌日・・・起きた私の眼に飛び込んできたのは荒涼とした大地。
時折民家とともに現われる小さな林は水源がある証拠だろう。ロバやヤギが飼育されているのも見えた。
大陸ならではの広大な荒野に驚き。
時折、停車する駅では食料品や飲料水を持った売り子が列車に群がってくる。
その横では列車から無造作に投げてられるゴミ・・・そのゴミに集まってくるネズミやリス、そしてそのネズミやリスを 狙っているのか電線には猛禽類が・・・。荒涼とした大地に見えたちょっとした食物連鎖が面白かった。
同じコンパートメントの中国人が寝るときと食事を取るとき以外ひたすら外を眺めている私を不思議そうに見ていた のが面白かった。荒野を眺めて何が面白いのだろう・・・って感じでした。
ところどころに現われる建造物の跡。
中国人にあれは何の跡?と聞くと、ある人は長城の一部分ではないか?ある人は昔の農村跡ではないか?
と 答えがばらばらであった・・・人民は大して興味ないのね(^_^;)
午後八時頃であろうか、嘉峪関が見える。
時間と陽の高さが北京と違うのが西に向かっている旅である事をあらためて感じさせる。
翌日、新疆に入ると列車から見る風景はもはや中国とは思えないものでした。

三日間の列車生活ではシャワーも浴びれずタオルで体を拭くくらい。コンパートメントは普段クーラーが効いている のだが時折効かなくなったり、就寝時には止まるので滲み出てくる汗で体が汗臭いのが自分でも分かる。同室の人 民は前日の夜、皆が寝静まった頃、洗面所でパンツ姿で体中を拭いていた。僕がたまたま入ってしまったため、そ の後は鍵を締め切って洗面所を占拠、出てきたとき洗面所は水浸し、さすがに図々しいと感じた私でした。

列車から見える雪を頂く山
これが見えればトルファンはすぐ・・・・だったはず。
トルファン駅に着いて驚いたのが、意外に小さかったこと。これから何処に行けばいいのかと迷っていると駅と街が 離れていることに気づきバス停へ。しかし私が迷っている間に一本出発してしまい次の出発が一時間後・・・
迷わずタクシーでトルファン賓館へ向かったのでした。
値段も交渉して80元から40元に負けさせ、その代わり途中で客拾いを認めてあげた。
トルファン市内までの道路は灼熱のアスファルト・・・照り返す光がまぶしくとても熱かった。
はじめは窓を開けて外の風を浴びていた私もさすがに「熱風」を浴び続けるのにまいってしまいクーラーに切り替え てもらった。運転手は私をちらちら見ながら笑顔で「クーラー代は10元な!」
と話しかけてきたが「馬鹿言え、ク ーラーなんてタクシーのサービスだろ。ケチケチするなよ。相乗りもいるんだぞ」そう言って運転手を黙らせた。 一時間半程かかったであろうか・・・トルファン市内に入ると街路樹が増え、道にはアーケードがありたくさんの葡萄 がなっていた。「綺麗な町並みだなぁ」ってのが正直な感想だった。相乗りの女性が降りると運転手が
「約束はトルファン市内だろ、お前もここで降りな」と言って来たのだが、無視して助手席に座り続け
「私の目的地はトルファン賓館、任務はそこまで」と粘り続け乗せてってもらえた。
西北旅行<2>
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