昨年12月に婚約したドイツに暮らす娘が「そろそろ結婚しようと思うので、書類を集めてくれる?」と言ってきたのは5月半ばのことでした。国際結婚をしている人のHP上で必要書類の情報をチェックしていましたので、早速行動を開始しました。
 本籍地の法務局支所で「婚姻具備証明書」を発行して貰うのが最初の仕事です。まず娘の戸籍謄本2通を取り寄せ、さらに相手のパスポートの写しと、娘がその男性と結婚する意志のあることと、「婚姻具備証明書」の発行請求権を母である私に委ねる委任状を書いて送ってもらい、窓口に提出しました。
 待つこと20分ほどでタイプ打ちされた証明書が発行され、しかも無料でした。
 翌日外務省領事課証明班に出向き、「戸籍謄本」と、「婚姻具備証明書」のアポスティルの取り付けを依頼。できあがりは「翌日の午前中」と言われ、もう一度取りに出向かなければならないのは厄介なことでしたが、こちらも無料で手に入れることができました。
 アポスティルの付いた2種類の証明書を持参して、次はドイツ大使館に行きました。証明書にドイツ語の翻訳を付けてもらうためです。霞ヶ関から広尾へ、ほとんど地下鉄を利用しない私ですがこの時ばかりは妙に地理カンが働いて、短い時間で大使館に着くことができました。
 窓口の女性職員に「大使館では翻訳業務は行っていませんが、指定の業者が丁度来館しているので直接交渉してごらんなさい」と、業者に引き合わせてくれました。2,3日で仕上がり自宅宛て郵送してくれることとなり、13000円ほどの翻訳料は後日振り込みでOKになりました。約束どおりに送られてきた2種類の証明書を持って改めてドイツ大使館へ。1200円ずつの手数料を支払い、大使館の認証を得てようやく結婚のための公式書類ができあがりました。
 ここまでおよそ2週間。2ヶ月ぐらいはかかるのではないかと聞いていましたので、なにか足りないものがあるのではないかと急に心配になってしまいました。証明書の有効期間は6ヶ月です。「期間内に挙式ができるよう注意してくださいね」と大使館の職員に言われ、我が家の子どもの最初の結婚式が急に現実味を帯びた形となって感じられました。
 当人たちはドイツに居ながらにして必要書類を手に入れたのですから、暢気なものです。こうした準備の段階を踏んでこそ思い入れの深い結婚式が挙げられるのではないか、それを私が代行してしまったことは果たして良いことだったのだろうかと疑問が残りながらの狂走曲の始まりでした。

 市役所での結婚式は「届け出婚」と言うそうで、日本での入籍にあたり、これを行って初めて法的な夫婦として認められるわけです。
 アメリカで起こった同時多発テロの影響で、乗客の激減した飛行機に一抹の不安も乗せてフランクフルトに私達家族が到着したのは挙式前日のことでした。市役所での「届け出婚」は9時30分からです。9時にはホテルを出発しなければならないので、6時30分から娘の花嫁支度を始めようと、姉と2人で着物を広げ、小物すべても使う順番に並べ束の間の眠りに就きました。
 髪のセットは私が、着付けは姉がと手分けしてどうにか花嫁支度のできあがりです。長い髪をどう纏めるかは上の娘を練習台にして何回か試していましたので、短時間できれいに仕上げることができ「意外に器用だったのね」と姉からほめて貰うことができました。和風の髪飾りもよく似合い、婿殿は「かわいいー!!きれい!!」と目を細め、日本から着物を運んできた甲斐があったと胸をなで下ろしました。着物姿は十分すぎるほど人目を引き、ホテルのロビー、レーマー広場の観光客の注目の的となりました。写真を撮る人、「おめでとう!」と声を掛けてくれる人、握手を求める人も現れて、「僕の方には誰も来ない」とこれも素敵な花婿姿の彼は少し残念そうでした。
 市役所では立会人の2人にはさまれた娘たちが係官と向き合い、誓約の言葉をのべて指輪を交換。4人がそれぞれ書類にサインして係官から結婚証明書をもらって式は終了でした。さすがに2人はとびきりの笑顔に輝き、妹に先を越された格好の兄も感慨深げに見守っていました。この式により日本の姓を名乗ることを選択した娘たちは、彼の姓を変更する必要が生じただけで、娘は旧姓のまま新しい家庭の誕生となりました。ここまでの準備にかかった労力は、この30分の式で十分報われたように思います。

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大聖堂(カイザードーム)での挙式は翌日の11時からです。
 スタジオで2人は写真を撮ってから教会に行くため、少し早めに支度にかかることにしました。彼はのんびりシャワーを使い、朝食もルームサービスを頼んで娘の支度を待っていました。何という落ち着きよう!!
 ところで「ウェディングドレスを日本で探してもらえない?」と娘が言ってきたのは挙式まで1ヶ月を切ってからのことでした。157センチ、たぶん42キロぐらいしかない娘の体にあうドレスはとても見つけられないというのです。あわててインターネットでドレス工房を探し、横浜元町の店が品揃えも豊富で、気に入って作品がアップされていましたので、そこに行ってみることにしました。
 品川生まれ、川崎育ちの私にとって横浜は隣町でしたので、山下公園、外人墓地、港の見える丘公園も何度も遊びに行ったところです。東京オリンピック時にはバレーボールの試合を見に関内の体育館まで出かけていきました。(しかし古い話で…)
 さすがに千葉に住むようになってからは一度も横浜を訪れたことはなく、およそ35年ぶりの元町でした。ドレス工房はすぐにわかり、娘の写真とサイズを言っていくつかのドレスを候補として写真に撮り、娘にメールを送って気に入ったドレスを選ぶこととし、改めて店を訪れる約束をしました。娘からはすぐに返事が来て、当人がいないままドレスや小物、靴まですべてを注文するために再び店を訪ねました。「ウェストがきつかったらどうしよう。腕が通らなかったらどうしよう」と心配種はあったもののそこは生来の「なんとかなる」の性格が幸いし、1式を買い取って来てしまいました。
 レンタルでも価格は2万円ほど安くなるだけとのこと。一生に一度の花嫁姿を整えるのだから「プレゼントしてやりなさい」と言う夫の一言で自前の衣装すべてが用意されました。ドイツでの節約暮らしがすっかり身について、多額の出費を伴うときはまず日本に頼んでしまうという娘の作戦の一本勝ちでした。
 そんなこんなのドレスをおそるおそる娘に着せてみたところなんとぴったり!!私の心配は取り越し苦労に終わり、夫と娘との入場のリハーサルの時間を持つこともできました。着物姿とは違い、「結婚式だなー」と思わせるウェディングドレスは女性の永遠の憧れを象徴しているようでした。
 大聖堂へは娘たちより先に赴き、内部を見学しながら出席してくださる皆さんを待ちました。アムステルダムから家族で駆けつけてくださった大学時代の娘の同級生を皮切りに、アーヘン在住の高校時代の先輩、イギリスから飛んできてくれたこれも大学時代の友人と、ヨーロッパ各地で生活されている娘の交友関係をかいまみて感慨深いものがありました。100人を超える参列者の他、観光客も混じっていましたので、式が始まる旨を伝えて仕切の扉の外まで下がってくださるようお願いして挙式の始まりです。
 神父様を先導にパイプオルガンの奏でる「G線上のアリア」にあわせて夫と腕を組んで祭壇に向かう娘。緊張した面もちながら真っ白なドレスがよく似合って、花嫁の父の役を立派に務めている夫ともども「素敵だなー」と思わせてくれました。
 神父様のドイツ語はさすがに難しく「Miyuki・ Alexander」との呼びかけやいくつかの単語を聞き取るのがやっとでした。オペラ歌手の友人2人による「アヴェマリア」は素晴らしく、カトリック信者の彼の親戚の皆さんにも「大聖堂で挙式できるのは大変名誉なこと」と満足していただいたようです。
 聖書の朗読時には神父様のあとに日本語訳で私が「イザヤ」と「マルコ」の一節を続け、足が震え、声はうわずり冷や汗ものでしたがこのうえない体験をすることができました。神父様の祝祷の声もリズムも美しく立派で、大聖堂の見事な音響効果とあいまって心に残る良い結婚式が挙げられたことを本当に感謝しています。
 誓約の言葉を聖書に従って唱え、お互いの指にリングを授けあった時は市役所での式の折りの指輪交換とはひと味もふた味も違い、厳粛さもひとしおだったように思います。
 祝婚歌を贈られ、「ラルゴ」の演奏に乗って退場する2人は晴れ晴れとした笑顔で、この感激を忘れることなく幸せな家庭を築いて欲しいと、私は最前列から小さくなっていく姿を夫と並んで見送っていました。

 カイザードームを出てレーマー広場に戻った一角にパーティ会場のレストランがあります。小雨の中をそれぞれが連れ立って移動しました。会場の入り口に席次の書かれた表が準備され、それに従って混乱もなく着席し、パーティの開始の合図があるまではシャンパンを飲みながらテーブルごとに楽しく話が弾んでいたように思います。娘たちはあちこちのテーブルをまわり笑顔を振りまいていました。小一時間経った頃、二つのグラスがならされて瞬時に静まりかえった会場に祝宴の始まりが告げられました。乾杯、食事とどれもが十分な時間をとって進み、日本での時間に切られた披露宴しか経験のない私にはすべてが驚きの連続でした。
 よく見てみますとテーブルに置かれた名札、メニューカード、立派なフラワーデコレーションのすべてが娘や友人の手作りのもので、できばえの見事さに「よくもまあ準備ができたものよ」とただただ感心しておりました。これでは痩せてしまうのも道理です。8月にスイス旅行を一緒に楽しんだ時には、もう少しふっくらしていたと思うのですが、挙式が決まってからのさまざまな準備に寝る間も削るほど追われていたに違いありません。
 慣れない外国暮らしの中でたくさんの友人を得て、結婚式を挙げるまでにこぎつけた娘の成長を、今度ばかりは手放しで誉めてやりたいとこみ上げてくるものをワインと一緒に飲み込んでいました。
 食事が終わり、次は2人の初めての共同作業「ウェディングケーキ」の切り分けです。100人あまりの出席者に食べていただけるよう、ホテルでケーキの制作を担当している友人に頼んで作ってもらったという5段のケーキは、ドイツと日本の国旗を二つに繋げた飾りや、出会いの場となったスポーツで使われるラケットなどがあしらわれ、スポンジの縁には「祝」の文字が人数分焼きこまれていました。皆さんの拍手の中、慎重に切り分けられたケーキの最初の一切れを私に、そして夫に、さらに彼のお父様に贈られました。甘みを抑えてあり、とてもおいしくいただくことができました。
 さあ、夫がスピーチに立ちます。ドイツ語で通訳してくださる人はたくさんいらっしゃるのですが、「娘の結婚式なのだから」と一念発起して私がドイツ語にスピーチを訳すことにしました。フランクフルトまでの12時間の飛行中ぶつぶつと原稿を読みながらやってきましたので、これも「なんとかなる」精神でマイクを握り、夫のアドリブは「原稿にない」と素通りして事なきを得たように思います。短すぎるかという気もしましたが、後に続いた彼のお父様の40分におよぶスピーチがあっては、「もっと短くてもよかったかも」と夫と内緒話をしていました。
 スライドショウやゲームなど盛りだくさんのパーティですが、なんといっても一番の出し物はダンスです。ぎこちなくフロアの中央に立った2人に、ダンス指導も努めてくださった立会人さんが心配そうに見守っています。友人のピアノとフルートの演奏で「美しき青きドナウ」が流れ始めました。なかなか動き出せない2人に手拍子の催促。ようやくロボットが進むように足を踏み出して懸命にリードしようとする彼に、口笛の声援が起こりやがて爆笑の渦に変わっていきました。「なんでも上手にできてしまったら可愛くないよ。上出来じょうでき!」。息子の窮地を救うべくお父様はやおら私に歩み寄り「踊りましょう」と手をとります。こうなっては恥ずかしいもなにもあったものではありません。娘たちがロボットダンスなら、私はさしずめ「相撲取りの盆踊り」です。一曲がこんなに長く感じられたのは初めてでした。
 遠くからおいでのお客様たちから次々と抜けていかれ、ラストダンスのあとで8時間をこえるパーティがようやくお開きとなりました。こんなに楽しい結婚式は初めての経験で、力を貸してくださったたくさんのお友達に感謝の気持ちでいっぱいでした。
 明日はもうフランクフルトを発たなければなりません。3泊5日の結婚式のためだけの滞在でしたが抱えきれないほどの感動をたくさんいただきました。お一人ひとりへのお礼の言葉は娘たちが折々に伝えてくれることを願ってこの狂走曲はおしまいです。

皆さまにもたくさんの幸せがもたらされますように。