音楽論
日本が生んだ音楽
「天使にラブ・ソングを」という洋画をご存知でしょうか。
2作目まであって、私は両方とも見ました。
知らない方のためにごく簡単にストーリーを説明しますと、
1作目:
ギャングのボスの愛人だった盛り場のステージの歌手が、
偶然そのボスが人を殺す現場を目撃してしまう。
その彼女の口を封じようとするギャングから逃げるため、
彼女は警察に逃げ込む。
警察は彼女の身を隠すために、彼女をある修道院に預ける。
そこの聖歌隊がえらくドヘタクソで、彼女はそれを見かねて
自ら聖歌隊に歌を教える。
ついでに聖歌はゴスペル風(?)にアレンジ。
その後様々な紆余曲折を経て、最後はローマ法王の前で
聖歌を披露し、褒められてメデタシメデタシ。
2作目:
いまだにシスターやってる元ギャングの愛人が今度は
地域の学校に赴いて悪ガキ共に歌を教える。
その悪ガキ共を引き連れて合唱コンクールに出場し、
見事優勝してメデタシメデタシ。
ストーリー的にはかなり無理があります。さすがアメリカ映画。
まあここで問題にしたいのはストーリーではないのではっきり言ってどーでもいーです。
問題は主人公の元ギャングの愛人。
この人は黒人なんですが、歌がメチャメチャうまいですし、踊りもかっこいいです。
なによりゴスペルやらソウルやら(ブラック・ミュージックっていうんでしたっけ?
そこら辺あんまり詳しくないんです。すみません)を歌わせたら
様になりすぎてて思わず見とれてしまいます。
聖歌隊の他のメンバーは白人で、やっぱりうまいんですが、
やっぱりああいったものは黒人にはかなわないという事を実感してしまいます。
また、2作目の悪ガキ共の中に一人「歌姫」を自称している(確か)女の子が
いるんですが、彼女もやっぱりかっこいいです。
合唱コンクールの中では彼女がソロで歌う部分がありますが、まさに圧巻。
かっこよすぎます。
映画を見ていた私は思いました。
「歌と踊りは黒人にはかなわない。」
しかし、しかしです。
良く考えてみれば、ゴスペルやソウルやジャズはもともと黒人の生み出した音楽。
黒人達の歴史の中から生まれた奥が深い音楽なのです。
本家本元の彼らが歌えばかっこいいのは当然といえば当然の事です。
つまり、他の人種民族が上辺だけ真似ても、本家の凄さにはかなわないのです。
では、そこで。
我々日本人に特有の音楽というものがあるでしょうか。
古来から日本民族は外来のものをありがたがり、それらをある程度形を変えることで
自分達の文化に取り入れてきた民族です。
特に近年欧米のものをありがたがる傾向はめざましく、「国際化」とはすなわち
「欧米化」であると誤解している日本人が(有識者の中にさえ)珍しくありません。
音楽も確かに欧米の影響を受けまくっています。
民謡はまだしも、演歌でさえ伴奏に使用する楽器は西洋のものです。
しかし、日本人は他の文化の猿真似だけにとどまる民族ではありません。
他の文化を模倣し、そこから自分達特有の文化をさらに作り上げていく。
これこそ我々日本人の真価です。
たとえ一見外国文化の猿真似に見えても、そこには日本的な色彩が少なからず
加えられています。
それは現代のポピュラー・ミュージックも例外ではありません。
かなり欧米の影響を受けてはいますが、欧米のポピュラー・ミュージックそのものでは
ないのです。
そして、例えばゴスペラーズ。
ゴスペラーズという名前、アカペラという形態に騙されがちですが、彼らが歌っているのは
断じてゴスペルではありません(というかゴスペルとは呼べません)。
あれは紛れもなく日本のポピュラー・ミュージックです。
ことは何もポピュラー・ミュージックに限った話ではありません。
欧米の影響をモロに受けまくった
ポピュラー・ミュージックから
さらに枝分かれした
日本特有の音楽が、
ここにあります!
というわけで本日更新の新曲、「無言歌集−6」。
周囲に人がいない事を確認した上でこっそりとお聞き下さい。