水遊び


 よく晴れた、ある日のことでした。  ジョーが、長いホースを、庭の水道の蛇口に取り付けました。  よちよち歩きのイワンがわくわくして、ジョーに近づいていきます。 (ジョー、何をはじめるつもり)  イワンが、ホースに手を伸ばしながら、聞きました。  ジョーは、ホースを引っ張りながら、答えます。 「花壇に水をまくんだよ」 (ぼくにもやらせてくれる?)  イワンが、くねくね動くホースを追いかけながら、言いました。 「終わったらな」  この返事に、イワンは口を尖らせましたが、ジョーは気にしません。 「イワン。水道の蛇口をひねってくれよ」  イワンは、言われた通り、見えざる手を使って蛇口を捻りました。それも思いっき り。  勢いよくホース口から、水がほとばしりました。ジョーの手からホースの先が落ち て、土の上に水をまき散らします。 「イワン、出しすぎだ」  ジョーが、水道まで走っていき、蛇口を閉めました。そして、ゆるく水が出るよう に調節すると、もとの場所へ戻ってきました。  この時、すでにホースは、イワンの手の中です。  イワンは、ホースを掴んで、口を上に向けました。水が空へ向かってどんどん溢れ てきます。その勢いにつられて、上を向いたイワンは、泥の中へ尻餅をついてしまい ました。その拍子に、ホースの水が、顔にかかります。 (つめたい)  イワンはおもわず、ホースを手放しました。  ジョーがホースの先を押さえて、イワンの顔を覗き込みます。 「大丈夫か。痛くない?」 (ぜーんぜん。もっとやりたい。かしてよ)  手を伸ばすイワンに苦笑しながら、ジョーは首を横に振りました。 「水撒きが先だ。後でお風呂に入れてやるから、そのまま遊んでたらいいよ」  ジョーは、泥の中に座り込んでいるイワンを放っておいて、花壇に水をまきはじめ ました。 面白くないのは、イワンです。  せっかくのおもちゃを、取り上げられたのですから。  イワンは、じーっとジョーの様子を見ていました。それから、手を動かして、泥の 中をかき混ぜました。土が柔らかくて、冷たくて、気持ちがいいと思いました。  そして、もう一度、ジョーを見て。  その見えざる手で、彼の足を払ったのです。  ジョーが、泥の上にしたたか腰を打ちつけたのは、言うまでもありません。 「イワン、何するんだ」  たいして痛がりもせず、ジョーは立ち上がると、イワンを睨みました。  イワンは、再びホースを手にして、上機嫌です。  自分も宙を飛んでホースを振り回し、庭中に水をまき散らします。そして、ホース を取り返そうと近づくジョーには、見えざる手で作った泥団子をおみまいしました。  これには、ジョーも黙ってはいません。無理やりホースを引いて取り返すと、イワ ン目掛けて水をかけました。でも、ゆるい水の流れは弧を描くばかりで、飛んで逃げ るイワンには、なかなか届きません。  ジョーは水道の蛇口を、大きく捻りました。水が、ホース口から飛び出しました。  これを見たイワンが、笑い声をたてます。そんな彼を目掛けて、白い水が一直線に 飛んでいくのでした。  さて、家の中では、一人の女性が、窓の外を見て溜め息を漏らしました。 「ジョーったら、すぐ終わるよって言ったくせに」  フランソワーズは、とっくにテーブルの上にお茶の支度をして、ジョーが水撒きを 終えるのを待っていたのでした。  そこへ、ギルモアがやって来ました。 「おや、ジョーとイワンはどうしたね」  部屋の中を見回して、ギルモアが言いました。 「お庭です」  つんとしたフランソワーズの答えに窓の外を見ると、二人は仲良くホースの水と泥 団子のかけあいっこをして、遊んでいました。 「ほお、ほほう」  ギルモアは、目を細めて眺めました。赤ん坊がホースと一緒に宙に浮いたり、少年 が泥団子を避けながら花壇を飛び越える様は、なかなか余所で見られるものではあり ません。 「博士、先にお茶にしましょうよ」  フランソワーズは、もうジョーを待つつもりはありませんでした。どのみち、外の 二人は、お茶の前に、お風呂に入ってもらわなければならないのですから。  ギルモアは、窓から庭がよく見える位置に腰をおろしました。フランソワーズはギ ルモアの向かいに坐りました。ちょうど、窓を背にした格好です。 「どうぞ、博士」 「ああ、ありがとう」  ティーカップを受け取りながらも、ギルモアの目線は、窓の外へ向かっていました。 「ほう。ジョーは宙返りも上手いのお」  とか、 「おや、イワンの姿が消えた。ああ、泥団子を持って浮かんでる」  とか、 「今度は、ジョーがホースを取ったぞ」  などと、頼みもしないのに、実況中継をしてくれました。  それを聞いているフランソワーズの顔が、だんだん下を向いていくのに、ギルモア はちっとも気がつきませんでした。 「ああ、ジョーの頭に泥団子が命中した」 「イワンの尻に水鉄砲が当たったぞ」 「おお。両方共に、泥団子命中じゃ」  と、お茶を飲むのも忘れて、ギルモアが叫んでいると、フランソワーズが、それは それは美しい笑みを浮かべて、ギルモアの名を呼んだのです。 「ギルモア博士」 「うーむ。やはり、ジョーの体の方が大きい分、命中率は……」 「ギルモア博士、お願いがあるんです」  フランソワーズは、身を乗り出して、ギルモアを正面に見据えました。  その麗しい微笑みに、ギルモアは一瞬言葉を失います。 「お願いがあるんです、博士」  フランソワーズは、再び言いました。 「ああ。なんだね、フランソワーズ」  もちろん、フランソワーズの願い事ならば、いつでもそれに応えようという心構え は、ジョーのみならずギルモアにもありました。 「なんでも言ってごらん」  その言葉を聞いたフランソワーズは、とても嬉しそうに笑いました。  そして、そんなフランソワーズを見たギルモアは、これまたやっぱり、嬉しそうに 微笑みかえすのでした。 「実は、至急作ってもらいたいものがあるんです」  それから、数日後。  庭では、ギルモア特製のスプリンクラーが、水を撒いておりました。                           (C)飛鳥 2003. 5.12