その日、ギルモア博士の家にいたのは、ジョーとフランソワーズ、イワン に張々湖、そして、アメリカに帰りそびれたジェロニモと俺だった。 昼飯を食べおわって、みんなでテレビを見ていた。そのテレビには、何や ら派手な着物をきた女達が大勢映っていて。 「そっか。今日は、成人の日だった」 ジョーが、その映像を見てつぶやくように言った。 ふーん。成人の日と言えば、あれだな。派手な着物を着て街を練り歩く、 日本の伝統行事。 「全然、違う」 ジョーが俺を睨んだ。その隣で、フランソワーズがイワンをあやしながら、 コロコロ笑ってやがる。 どこが違うんだよ。 俺は、テレビ画面を指さして言ってみたが、フランソワーズの一言で雀の 鳴き声と化した。 「きれいよね」 フランソワーズは、うっとりと小さなテレビから発せられる、光の中を見 つめている。 「うん、振袖はきれいだね」 ジョーも相槌をうっているが、いつもながら、どこかずれている内容だ。 こいつは、年が代わっても相変わらずだな。 「そういえば、去年の秋ごろから、大学でも、女の子達が騒いでいたよ。い くらの振袖を買ってもらったとか、どんな柄だとか」 ジョーは、イワンの頼みで大学へ通っている。週一回だけだそうだが。 つまんなくねえか。他人の勉強を代わりに聴きにいくっていうのは。 「イワンは、他人じゃないだろう」 そうじゃなくて。お前は勉強したいこと、ないのか。 「ん〜。考古学の話は面白かったな。発掘は、日本の大学が長期の休みの時 にやるとか、エジプトの場合は、そういう事情で暑い夏にやる羽目になると か」 「そうそう。他に、比較神話学もよかったわ。日本神話は、ギリシャ神話と の類似性があるのは知っていたけれど、アジアやオセアニアの神話とも深い 繋がりがあるって」 「うん。でも、植物学の講義は、わからなかったね。光合成で、新しいエネ ルギーを作り出すっていうやつ」 「化学式はともかく、光合成の仕組みは説明されても、ねえ」 ジョーとフランソワーズは、ふたりして頷き合っている。 一体、何の講義を聴きに行ってんだ。 「雑学講座だよ」 ジョーがしれっと言った。 「一般人向けの講座なんだ。毎回テーマが変わる。もちろん大学生も受講で きるんだけど、半数は、僕みたいな聴講生なんだ」 誰が聴きたいなんて、言ったんだ。 「イワンだよ」 ジョーが、俺の顔を不思議そうに見ている。知ってるだろう、とでも言い たそうな顔。そうじゃなくてさ。お前は、それでいいのか。 喉まで出かかった言葉を、この時、俺は言うことができなかった。 ずっと黙ってテレビを見ていたジェロニモが、フランソワーズに話しかけ たからだ。 「フランソワーズも振袖を着てみたらどうだ。きっと似合う」 テレビには、まだ、きらびやかな衣装の女達が映っていた。俺は、頭を切 り換えた。 それがいい。フランソワーズなら、どんな色柄でも似合うぞ。早速、買い に行こうぜ。 そう叫んだ俺に、張大人が教えてくれた。 「だめネ。振袖は、何ヵ月も前から注文して作ってもらうものアル。それに、 とっても高いヨ」 高いって、いくらだ。 「そうアルネ。店で聞いた話では、数百万……」 俺もジェロニモも、目が丸くなった。 「上を見たら、きりがないんだよ」 ジョーが笑いながら言った。 「作家ものだと、ほとんど手作業だし時間もかかるから、どうしても高くな るんだ。それだけ素晴らしいものなんだけど、成人式に一回しか着ないん じゃ勿体ないよね。今は、デパートやレンタルショップで、数万円から数十 万円のものがあるよ。呉服屋でも、相談すれば予算にあったものを探してく れるそうだし」 詳しいな、お前。 「大学に、今年成人式っていう人が、何人かいたから」 自慢話か。衣装の話は好きだよな、女って。 「わたしも、着てみようかしら」 フランソワーズがそう言うと、 (うん。フランソワーズ、着てきてよ。とても素敵だもの) 彼女の腕の中の赤ん坊が、頻りに進めている。と言うことは。 フランソワーズ、振袖持ってんのか。 「ええ。とってもきれいなの」 フランソワーズが、嬉しそうに頷く隣で、ジョーの笑顔が引きつったのを、 俺は見逃さなかった。 「ちょっと着替えに時間がかかるけど、待っててね」 まるでジョーに言い含めるかのように、彼にイワンを預けて、フランソ ワーズは自室に行ってしまった。途端にジョーがそわそわしはじめる。 「ジェロニモ、僕、お茶のおかわり持ってくるから、イワンを頼むよ」 そう言って、ジェロニモにイワンを押しつけて、部屋を出ていこうとする。 こいつ、何か怪しいぞ。 「お茶なら、まだあるネ。ジョー、落ち着いて待っているヨロシ」 張大人が、ジョーの前に立ちはだかり、それを見たジェロニモが片手でイ ワンを抱き、もう片方で、ジョーの首根っこを掴んだ。まさかとは思うが。 フランソワーズの振袖、お前が買ってやったのか。 「違うよ。預かりものだよ」 ジョーが苦しそうに言う。 「張大人のお店で知り合った、女の人の着物なんだって。フランソワーズが 彼女と親しくなって、しばらく預かってほしいって言われたとか。詳しい事 情は僕も聞いていないけど、ときどき虫干しのつもりで着てもかまわないっ て。それで、フランソワーズは、ほんと、ときどき」 着ている訳か。 「……そう」 ジョーが、目線だけ動かして、張大人を見る。つられて俺も目をやると、 張大人は、ウンウンと満面の笑みを浮かべている。彼も、フランソワーズが どんな振袖を着てくるか、知っている訳だ。 それから、ジョーは大人しくソファーに坐り、イワンをあやしていた。と 言うより、イワンにあやされていたと言った方が、正しいかもしれない。と にかく、ジョーは落ち着きがなかった。 フランソワーズが俺たちの目の前に帰ってきたのは、彼女が自室に消えて から、一時間程たったころだった。扉をノックする音がして、俺は入り口を 見つめた。茶色い木の扉がゆっくりと開き、その奥から白いフランソワーズ が現れる。唇の紅の色が鮮やかだ。着物は、真っ白。くるりと後ろを見せて くれたときの帯の色も白。 彼女が着ていたのは、無垢の振袖だった。 「振袖」 009狂想曲 第三番 終 (C)飛鳥 2003.1 .6 .