日差しがまぶしい。 わたしの白い肌を、痛いくらいに照りつけている。 「フランソワーズ」 ジョーが波打ち際にイワンと坐りこんで、わたしに手を振ってくれている。 手を振り返して、わたしは熱く乾いた砂の上に坐り直した。 海に行きたいって言いだしたのは、わたし。だから、我慢しなくちゃいけ ない。たとえ、もっと涼しい静かな所へ行こう、と誘われても。せっかく、 イワンやギルモア博士も来てくれたんだもの。 でも。 遠くからわたしを呼ぶ声が聞こえるのは、気のせいではないと思う。光の 中に人影が浮かぶのは、幻にしては鮮やかすぎる。大きな影と、小さな影と。 互いに近づいては離れていく、波のように、遠い。あれは、いつの事だった かしら。 暑い日差しの中には、思い出が詰まっている。今ではもう、思い出すこと すらできないとしても。 「フランソワ−ズ、これでいいか」 ジェロニモがわたしのすぐ側に、大きなパラソルを持ってきてくれた。わ たしが日陰に入るように傾けてくれる。 「ありがとう、助かるわ」 「日差しが強い。気をつけた方がいい」 「ええ。わかってはいるんだけど」 わたしは、波打ち際へ視線を移した。 そこには、ジョーとイワンが、砂山を作って遊んでいる。大きな波が来る と砂山は波にさらわれて、たちまち姿を崩してしまう。濡れた砂の固まりを すくっては乗せて、再び形のよい山ができあがる頃に、また波が来てさらっ てしまった。それでも、ふたりの笑顔は途切れることなく、せっせと砂山を 作るのだ。 「気が抜けちゃったわ。あのふたりを見ていたら」 見上げてみたジェロニモの顔は、笑いに満ちていた。 「いい構図だ。絵になる」 「ならないわ。イワンはともかく、ジョーはもう大人よ」 「拗ねるのは子供の証拠」 「まあ、ジェロニモったら」 わたしは、可笑しくなって笑ってしまった。 そうね。そうかもしれない。だって、思い出してしまうんだもの。 「ギルモア博士が、心配している。フランソワーズがつまらなそうだから」 ジェロニモの声が、少し低く聞こえた。 「ごめんなさい。ちょっと……思い出していたの。わたしもあんな事をした のかなって」 「ああ。思い出はいいものだ。でも」 ジェロニモは、海に視線を移して言った。 「目の前にいる人間を、思い出にするのは早すぎる」 「え?」 思わずジェロニモの顔を見つめてしまう。 「今日は、まだ海に来たばかりだ。そうだろう」 彼は、顔の表情をたいして動かしもせずに、言った。 「ええ、そうね……」 そして、ジェロニモはギルモア博士が待っている、準備途中のバーベキュ ーセットの所へ戻っていった。そこにいるのは博士だけではなく、張大人も グレートもジェットもいる。ジェットなんか、もうビールを飲みはじめてい るんだから。 自然と、顔がほころんだ。 いつか目の前にいるあの人達が、思い出にかわる時が来るのかしら。本当 に?遠い将来? いいえ。それは、間違いなく本当のことで、もしかしたら、近い将来の事 かもしれない。 そう思わない?ジョー。 あなたは、あの日以来、ひとりで海岸に出る事がなくなった。わたしと一 緒にいる時、遠く海を望む事をしなくなった。 それは、わたしに、新しい未来の訪れを告げている。 「フランソワーズ」 (フランソワーズ) はい? 顔を上げると、ジョーとイワンの顔が、間近にあった。 「なあに」 急に心臓がドキドキしてしまう。 「やっと気が付いた」 ジョーが言えば、 (ずっと呼んでたのに、全然見てくれないから、お城、崩れちゃったよ) イワンがジョーに抱かれたまま、手足をばたつかせている。 お城って? ジョーが、波打ち際を指さした。そこには、崩れた砂山の姿があって。 わたしが無言でいると、ジョーとイワンが同時に言った。 「せっかく作ったのに」 (せっかく作ったのに) 「……」 心臓がドキドキして、苦しくなった。手が震えてしょうがない。 いいわ。笑っちゃお。 ふたりの拗ねる姿が可笑しいんだもの。 笑いましょうよ。ね、ジョー、イワン。 いつか、これも幸せな思い出になって、わたしは今日みたいに思い出すの。 それは、未来に約束される、幸せの予感。 だから、ジョー、行ってもいいわ。 わたしは、あの日の言葉を繰り返す。 行ってもいいわ。 あなたが望む所へ。 あなたが行きたい所へ。 あの時、あなたは驚いた顔をしていたわね。目はとても不安そうな色をし て。心配しないで。わたしはここにいる。 今はまだ言えないけれど、お願いがあるの。あなたが帰って来る場所は、 ここだけにしてね。わたしがいて、イワンがいて、ギルモア博士がいる所。 「おーい、そろそろ始めようぜ」 ジェットの声が聞こえた。ジェロニモも、ギルモア博士も呼んでいる。 「フランソワーズ、行こうか」 ジョーが、手を差し伸べてくれた。 「はい」 わたしは、彼の手を握りしめる。 イワンもわたしに向かって手を伸ばしてきた。 「フランソワーズが、濡れちゃうよ」 ジョーはイワンが暴れても彼を離そうとはしなかった。イワンは仰け反っ たり、手で叩いたりするけれど、ジョーはびくともしない。 そんなふたりを見て、張大人やグレートまでが、大きな笑い声をあげる。 幸せな笑い声。幸せな笑顔。 どこかで、ひとりの少女が夢見て、憧れたもの。 それは、いつか、わたしのものになる。 だから。 わたしは、思い出を、日差しの中に押し込めた。 「思い出」 009狂想曲 第十番 終 (C)飛鳥 2003.8.4.