もしも中国が日本から、日本が作った語彙を輸入しなかったらならば、毛沢東も毛沢東思想を書けなかった。これは本当である。中国人の王彬彬という人が書いた中国語の論文の「現代漢語中的日語"外来語"問題」の中にも、次のように書いてあった。

  「中国語の中で、日本語から来た外来語の数は、驚くほどの数字で、現在我々が使用している社会とか人文・科学方面の名詞、術語の70%は日本から輸入したものである。これらの言葉は西洋の言葉を日本人が翻訳して、その後中国に入って、中国語の中に根付いたものである」と書かれている。論文の最後には、「最後に私は言いたい。我々が使っている西洋の概念は、基本的に日本人が我々に代わって翻訳してくれたものだ。中国と西洋の間は、永遠に日本が横たわっているのだ」とも書いてあった。

  この7割と言うのは、語彙の種類の数ではなくて、出現頻度から数えたのかもしれない。日本から中国へ渡った日本製漢語の数はそれほど多くなくて、1000個ぐらいらしい。しかし日本からの外来語は中国語の中で重要な位置を占める言葉が多いから、言葉の出現頻度が多いので、数えると7割にもなるのだと思う。7割というのは社会とか、人文・科学に付いての名詞、術語に付いてだそうであるが、それにしても7割とは凄い量である。

  次の言葉は、全部日本からの舶来したものだ!!!  として王彬彬さんが例にあげている二文字熟語である。服務、組織、紀律、政治、革命、政府、方針、政策、申請、解決、理論、哲学、原則、経済、科学、商業、干部(幹部)、健康、社会、資本、主義、法律、封建、共和、美学、文学、美術、抽象・・・・・

  この王彬彬さんと言う人の「現代漢語中的日語"外来語"問題」という論文を、中国語のインターネットで検索するとたくさん出てくる。漢語の中に日本語から多くの言葉が取り入れられたという論文は、日本には有っても中国には無いのではないかと思っていた。しかし、中国語のサイトを検索してみると、この論文があちこちに転載されていた。それだけ中国一部の人には話題になっているのかもしれない。

  私の偏見かもしれないが、中国は日本の御蔭で・・・・  というような言い方が嫌いなんではないかと思っていた。この王彬彬さんと言う人の論文の中には、「私達が毎日大いに弁舌をふるうのも、瞑想にふけったり考えたりするのも、あれやこれやと話すときの概念は、意外にも大部分日本人が作ったものである。これを思うとき、わたしの頭皮が痺れて、ぞっとしてしまう」と書かれている。最後の部分は、私の翻訳なので、自分でも意味がハッキリしないのだが、自国製だと思っていた漢語が、実は日本からのものだとわかって、慌てたと言うか、頭を抱えたと言うような意味かもしれない。

  それほど日本製漢語が中国語に入り込んでいて、物を考える時の概念も日本製だというような論文が、インターネットで発表されて(2002年頃発表された)、2004年の今もあちこちに転載されていると言う事は、中国が物事を冷静に、見られるようになってきた兆候なのだろうか? 南京の事件でも、虐殺された人数が本当は何人であったのか。中国が冷静に頭を冷やして、検証できるようになればいいのだけれど。

  日本製漢語に付いては前から、調べてみたいと考えていたが、日本語のインターネットの方では、上海外国語大学の教授で陳生保という方の論文を見つけることができた。その"中国語の中の日本語"の論文の中には「共産党、幹部、指導、社会主義、市場、経済という文は、 すべて日本製漢語語彙でできているといったら、 これらの語彙をさかんに使っている普通の中国人は信じかねるだろうし、 これらの語彙の原産地の日本人も、 たぶん半信半疑だろうが、 しかし、 それは事実である」と書いている。こちらは日本語であるからずっと読みやすい。

  この他にも袁華という人が書いた論文、「二十世紀に中国語が日本語を導入した二度のピークとその特徴」(日本語に翻訳されていた)も見つけることもできた。この人は大阪外語大学の関係であったようにおもう。しかし上海外国語大学の陳生保教授のも、袁華さんの論文も、今検索してみると見えなくなってしまった。見えなくなたことに何か意味があるのだろうか。論文が見えなくなったとか、見えるようになったとかに、一々政治的な意味を見つけようとするのは、私の悪い癖かもしれない。しかし中国ではそう言ったことに、往々にして意味があったりする。

  そんなことを詮索するより、実際にどんな日本製漢語が日本で作られて、中国に渡ったか、次の単語をご覧頂きたい。これは南ドンさんという方の"南京ドンブリのページ" と言うホームページからコピーさせていただいたものである。
(日本から中国へ伝来した"和製漢語)

  下の言葉は西洋の語彙を日本で漢語にして作った言葉である。

亜鉛、暗示、意訳、演出、大熊座、温度、概算、概念、概略、会談、会話、回収、改訂、解放、科学、化学、化膿、拡散、歌劇、仮定、活躍、関係、幹線、幹部、観点、間接、寒帯、議員、議院、議会、企業、喜劇、基準、基地、擬人法、帰納、義務、客観、教育学、教科書、教養、協会、協定、共産主義、共鳴、強制、業務、金婚式、金牌、金融、銀行、銀婚式、銀幕、緊張、空間、組合、軍国主義、警察、景気、契機、経験、経済学、経済恐慌、軽工業、形而上学、芸術、系統、劇場、化粧品、下水道、決算、権威、原子、原則、原理、現役、現金、現実、元素、建築、公民、講演、講座、講師、効果、広告、工業、高潮、高利貸、光線、光年、酵素、肯定、小熊座、国際、国税、国教、固体、固定、最恵国、債権、債務、採光、雑誌、紫外線、時間、時候、刺激、施工、施行、市場、市長、自治領、指数、指導、事務員、実感、実業、失恋、質量、資本家、資料、社会学、社会主義、宗教、集団、重工業、終点、主観、手工業、出発点、出版、出版物、将軍、消費、乗客、商業、証券、情報、常識、上水道、承認、所得税、所有権、進化、進化論、進度、人権、神経衰弱、信号、信託、新聞記者、心理学、図案、水素、成分、制限、清算、政策、政党、性能、積極、絶対、接吻、繊維、選挙、宣伝、総合、総理、総領事、速度、体育、体操、退役、退化、大気、代議士、代表、対象、単位、単元、探検、蛋白質、窒素、抽象、直径、直接、通貨収縮、通貨膨張、定義、哲学、電子、電車、電池、電波、電報、電流、電話、伝染病、展覧会、動員、動産、投資、独裁、図書館、特権、内閣、内容、任命、熱帯、年度、能率、背景、覇権、派遣、反響、反射、反応、悲劇、美術、否定、否認、必要、批評、評価、標語、不動産、舞台、物質、物理学、平面、方案、方式、方程式、放射、法人、母校、本質、漫画、蜜月、密度、無産階級、目的、目標、唯心論、唯物論、輸出、要素、理想、理念、立憲、流行病、了解、領海、領空、領土、倫理学、類型、冷戦、労働組合、労働者、論壇、論理学 など

  このページには日本製語彙を実際に拾い出してあって、どんな和製漢語が中国に渡ったのかが具体的にわかる。これ以外にも沢山さんの和製漢語を拾い出してあるので、これ以上は南ドンさんのページを見ていただきたい。しかし南ドンさんも言っておられるが、ホームページに載せたのは和製漢語の全てはなくて、まだ全部は拾い出していないと言っておられる。

  ところで、私の周りは殆ど中国人なのだけれど、回りの中国人に聞いてみても、たくさんの日本製漢語が中国に入っている事を誰も知らない。もっとも、多くの日本人もこのことを知っていないのだが。私が中国人に二三の日本製漢語を挙げて、この漢語は日本から来たのだと言っても、少しびっくりする程度か、中にはなかなか信じない人も入る。社会、人文、科学の単語の名詞の7割が日本製だと分かれば、もっとビックリしていいのにと思うのだけれど。日本語を熱心に勉強している人などは、本当にビックリする。

  実は「文化」とか「文明」という語彙まで、日本製なのだが、中国は5000年(4000年とは言わない)の文明とか文化と、常日ごろから言っているくらいだから、「文化」とか「文明」と言う言葉が無かったなんて信じられないと言うに違いない。本当は文化、文明という漢語が全く中国に無かったわけではないが、culture、civilizationを文化、文明と訳したのは日本でである。このように古代漢文の中にあった語彙を使って、欧米の言葉概念を日本語に意訳して、その後中国へ伝わった言葉も多い。これも南ドンさんのページでどうぞ。

  ところで、もし中国に外来語辞典が有るのであれば、その事は外来語辞典に載っているのではないかと考えた。そして1000近くの言葉が、日本から伝わったという根拠が、中国側の書物で、証明できるのではないかとも考えた。それでどうにかして、中国語の外来語辞典を手に入れてみたいと思うようになった。それがどっこい中国なのである。中国に外来語辞典が無い。最終的には見つけ出したのだが、本屋に無いのである。北京の一番大きな新華書店に行っても外来語辞典が並んでいない。辞書売り場の担当者に聞いても無いと言う。中国語だから、没有! である。この言い方は、以前の中国では何処でも、没有!没有!であったが、最近は少なくなった。以前よく聞いた没有!を久しぶりに聞いたような気がした。大きな書店を数店当たって見たが、何処でも即座に没有! この没有!は確信をもって、中国には外来語辞典などあるはずは無い! と言っているように聞こえた。並んでいる外来語辞典と言えば、日本語学習者の為の日本語の外来語辞典などだけであった。

  ところが、南ドンさんのページにも陳生保教授のページにも、20年前の発行ではあるが、中国にも外来語辞典があることが載っていて、それは“漢語外来詞典”という辞書であることが分かった。それで是非これを買って見なければと思った。しかし買えない。

  北京には古本屋があるが、北京のあっちこっちと捜さなければ、この本を買うのは不可能なのではと思った。しかし私は考えたのである。中国にも今では古本屋のホームページがあって、それで探せば古書を探せるのではないかと。そうして実際パソコンを使って調べているうちに、中国の古本を検索できる中国でのページを探し当てた。辞書の名前を入力して検索したらその本があった。しかもその本がある本屋は、会社から200mも離れていない報国寺と言う寺の境内の古本屋にあった。その寺には常設の古物市場や古本屋があるのである。

  私の自慢話になってしまうが、古本は簡単に買えないと言っていた回りの中国人に、古本が買えた事を自慢した。実際にこの歳で、インターネットが扱えて、中国の古本を探し出せるなんて、中国人には居ないんじゃあないかと思った。インターネットが家庭にも普及している日本なら珍しくもないが、中国では自慢になるんじゃあなかろうか。しかし運も良かった。中国ではカードを使って代金を払うなんて出来ないから、別の都市の本屋に有ったとしても買えなかった。

  話を元にもどして、日本製漢語が中国に渡ったいきさつであるが、これも南ドンさんのページに詳しい。清国が日清戦争に負けて、日本に遅れを取ったかことを挽回しようとして、日本へ多くの留学生を派遣し、また多くの日本の書籍を中国語に翻訳した。その際に上に挙げたような日本製漢語が中国に入り、根付いたのである。

  日本製語彙が中国に輸入されたのは、中国も西洋の概念を中国語に翻訳しようとした時、既に日本は先を行っていて、西洋の概念を翻訳していた。だからその語彙を中国が輸入して利用したということもある。しかし中国側も西洋語から直接翻訳を試みたが失敗したらしい。中国側は古い言葉を使って新しい西洋の概念を表そうとしたからである。しかし日本は新しい言葉を作って翻訳した。翻訳の表現のし易さでは適わなかったらしい。王彬彬さんの論文にも、中国側の方法は拙くて、日本の方法が勝ったと書いてある。雷頤先生という方が嘆いておられたが、同じ一個の西洋の科学術語が中国にも日本にも来た。そうして違った方法で翻訳されたが、最後には中国の方が負けてしまった。何故中国の学者は、明治初期の日本の学者のように、自由な発想が出来なかったのかと。

  その理由は、日本が新しく作った語彙がよく出来ていたからである。当時の日本では、 西洋の新語を訳すとき、 大部分は意訳をしていた。 その意訳の場合、ちゃんと中国の造語法のルールを守って新しい語彙を作った。 具体的には、

  ○形容詞+名詞(人権 金庫 特権 哲学)
  ○副詞+動詞(独占 交流 高圧 特許 否定 肯定)
  ○同義語を重ねる(解放 説明 方法 共同 主義 階級)
  ○動詞+客語(投票 休戦 作戦 投資 投機 抗議)
  ○上述の語による複合語(会主義 自由主義 治外法権)

  要するに、 日本人は西洋のことばを日本語に訳すとき、 日本製漢語を使って、中国語の造語法の法則に従って、訳語を苦心惨憺して作ったと言える。 特に第四の 「動詞+客語」 の造語法は日本語にはもともとないばかりか、 日本語の文法とは正反対である。 こうしてできた日本の訳語が大量中国語のなかに入っても、 中国人はちょっと見知らぬことばだなと思うことがあったかもしれないが、 あまり違和感を持たなかったにちがいない。 まるで日本生まれ日本育ちの華僑の人が中国に帰国したようである、と陳生保、上海海外国語大学教授は書いておられる。

  このようにして中国に入った日本製の語彙の数は1000ぐらいらしい。中国が近代になってから取り入れた外来語は殆んどが日本製だとか。特筆すべきは日本製の語彙は、 現代中国語における使用頻度が非常に高いと言う事である。であるから自然科学と社会科学の基本概念も日本製漢語を通じて中国に入り、ひいては日本製語彙で中国人は思考していると言うことにもなる。

  中国語に与えた日本語の影響はそればかりではなく、日本製の言葉に中には、造語力を持つ接尾語のような語が23も有るのだとか。
  (1) 化(一元化 多元化 一般化 公式化 特殊化)
  (2) 式(流動式 簡易式 方程式 西洋式 日本式 旧式 新式)
  (3) 炎(肺炎 胃炎 腸炎 関節炎 脳炎 気管炎 皮膚炎 )
  (4) 力(生産力 消費力 想像力 労動力 記憶力 表現力 支配力)
  (5) 性(可能性 現実性 必然性 偶然性 習慣性 伝統性 必要性) 
  (6) 的(歴史的 科学的 自然的 必然的 相対的 絶対的)
  (7) 界(文学界 芸術界 学術界 金融界 新聞界 教育界)
  (8) 型(新型 大型 中型 小型 流線型 標準型)
  (9) 感(好感 悪感 情感 優越感 敏感 危機感)
  (10)点(重点 要点 焦点 注意点 観点 出発点 終点)
  (11)観(主観 客観 悲観 楽観 人生観 世界観)
  (12)線(直線 曲線 抛物線 生命線 戦線 警戒線)
  (13)率(効率 生産率 増長率 使用率 利率 廃品率)
  (14)法(弁証法 分析法 表現法 選挙法 方法 憲法 刑法)
  (15)度(進度 深度 広度 強度 力度)
  (16)品(作品 食品 芸術品 廃品 半成品 記念品)
  (17)者(作者 読者 訳者 労働者 著者 先進工作者)
  (18)作用(同化作用 光合作用 心理作用 精神作用 副作用)
  (19)問題(人口問題 土地問題 社会問題 民族問題)
  (20)時代(新石器時代 青銅器時代 鉄器時代 原子時代)
  (21)社会(原始社会 封建社会 社会主義社会 国際社会)
  (22)主義(人道主義 自然主義 浪漫主義 現実主義)
  (23)階級(地主階級 資産階級 農民階級 無産階級)

  こう言う表現方法が全部日本式だったとは。既に、この日本式と言う言い方が日本製だったらしい。日本製と言う言い方は、上のリストに無いが、中国には伝わらなかったのだろうか。とにかよく考えてみると凄いことである。

  他にも日本語が中国語に、大きな影響を与えている。それは中国語の語彙の複音化を即したと言う事である。元々中国の古代語(日本でいう漢文)には、二つ、または二つ以上の文字でできた語彙は非常に少なかったらしい。ほとんどは一つの文字で意味を表していた。そこに日本で作った二文字熟語、また二文字以上の語が入ることにより、 中国語の複音化を促した。二文字以上の語彙は、当然意味の巾を狭め、まわりくどい言い方でなく、表現を正確に伝えられるようにもなった。また西洋的な表現がたくさん入り、 中国語のセンテンスが長くなったと言う事である。

  二文字以上の熟語が中国語の古代語に少なかったと言う事は、明治時代に中国に入った日本からの二文字熟語は、中国に新しい言葉と概念を導入しただけでなく、語感の点からも、近代的なリズムの、かっこいい印象を与えたのではないだろうか。それらが中国語の複音化を促したなら、中国語のリズム感も相当変わったに違いない。

  前の方に書いた私の誤解についてであるが、中国は外来語の研究など、中華思想からすれば嫌いなのではないかと思ったが、そうではなくて、劉正、王炎、高名凱などの学者の研究は、1958年に既に発表されていた。しかしその研究成果が“漢語外来詞詞典”として発行されたのは1994年であった。その間の研究には大変な空白があったように見える。その間には文化大革命があった。真実は何かと言う事より、イデオロギー優先の時代だったのだろう。真実は、昔々大量の日本製漢語と思想が中国から日本へ流れ込んだ。そして明治初期には1000位の日本製語彙が、西洋の思想も伴って中国に流れ込んだ、と言う事である。 しかし中には事実であっても信じたくない人がいる。その人には、やっと買った中国発行の“漢語外来詞詞典”を見せれば、水戸黄門様の印籠のような効果を発揮してくれるであろう。これが見えぬか! これが真実だ! と。

  尚、表題に「日本製漢語を輸入しなかったら、毛沢東語録は書けなかった」と書いたが、こう言うレトリックは正しくないかもしれない。歴史上の事実に対して、もし、ああでなけければ、こうならなかったと仮定法で言う言い方は、歴史に仮定は許されないという、セオリー(?)から言っても、確かに正しくないと思う。仮に共産党とか、社会主義、資本家、共和国という言葉が無くても、別の言葉で毛沢東は毛沢東語録を書いただろう。しかしその中国語のリズム感はかなり違ったものであったのではなかろうか。

  しかし中国では「日本製漢語を輸入しなかったら、毛沢東語録が書けなかった」と言っても良いのである。何故なら、中国には「もし共産党が無ければ、新中国は無かった」と言う歌も有る位であるから。

  最後になるが、日本で作られた言葉が中国語に与えた影響などは、「中国語の中の日本語」という陳生保教授の論文(上海海外国語大学教授)を参考にさせて頂いた。日本製二文字熟語が中国語に入って、二文字漢語は、語感が新鮮なので(二文字以上の熟語は中国語に少なかった)、それを読むとき、中国人に新しい時代の息吹を感じさせたかもしれない、と言うあたりだけが、私個人の見解である。

もしも中国が日本製漢語を輸入しなかったら、毛沢東も毛沢東思想を書けなかった。