西北旅行<2>
トルファン観光
トルファン賓館ではドミトリーの3人部屋に入ることになった。クーラーもしっかり効いており快適に過ごせる。
ドミトリーは基本的に人の出入りが多いのであるが私の部屋には常住している日本人が一人いた。
山○さんという方ですでに2年もかけて世界を旅して周り、お気に入りのトルファンでのんびり過ごしてるのだと か・・・・。他にもトルファンの後に新疆各地へ向かう人やカシュガルからパキスタン、そしてインドへ抜けて行く人、
さらにはトルコやヨーロッパに抜けて行く人とバックパッカーの溜まり場であった。中には一人旅でこのまま
インドまで行くという逞しい女性や大学の山岳部でこれからパキスタンの山を登りに行くなんて人もいた。
行く先々で知り合う人との交流も旅の醍醐味!そんな旅行者との食事は話題に事欠かくことはない。
それぞれ持ち寄った旅行話では楽しい話も随分聞かせてもらった。
トルファン賓館のミニツアーに参加した私が始めに行ったところは、トルファン市の東北に位置する火焔山でし た。ちなみに参加した日本人は私一人だけでした。他はニュージーランドの家族と中国の客数人でした。
西遊記の舞台ともなる牛魔王のいた火焔山
陽の当たり方で山に刻まれた風紋と土の色が燃え盛る炎に見えるとか・・・
ドラゴンボール世代ではフライパン山といえばわかるでしょう。
ちなみに火焔山は東西に広がっていて全長98km、幅9kmもあるという。
そんな火焔山の中段に位置するのがベゼクリク千仏洞である。
ベゼクリク千仏洞は漢字では「柏孜克里克千佛洞」と書く。南北朝時代から続く西域における仏教伝播の中心地で あったとの事。三蔵法師一行も訪れたのであろうか、近くでは西遊記を記念して建てられた孫悟空をはじめとした白 い石像が観光客を迎えてくれる。後方の火焔山に登れるのだが時間がなかったので私はキャンセル。途中まで登っ たニュージーランドの客は砂の熱さと滑り降りた影響でサンダル履きの足は皮がベロっと剥けて痛そうだった
。
ベゼクリク千仏洞には色々な仏教壁画が残されていて・・・ってもはや記憶にない(T_T)
何せ9年前の旅行ですから、甦る記憶にも限界があります。
アスターナ古墳(阿斯塔那古墓群)
古代高昌王国の墓地があった場所!何体ものミイラが発掘されている!中に入れるのですが、もし上から砂が崩 れて閉じ込められたら、千年後には発掘されるミイラになっちゃうな・・・なんてつまらぬ想像をした私でした。
トルファン市街から東に約45km、火焔山南麓にある高昌故城跡。
紀元前1世紀から14世紀の間、新彊地域において政治・経済・文化の中心地であった場所。
チンギス・ハーンの遠征で滅ぼされた。
どんなに栄えた文明もいつかはこのように滅びて行くのかぁ・・・という感傷に浸ってしまった私
ここではラクダや馬車で案内してもらえます
一面に広がる廃墟群は夜に遊びにきたら亡霊に会えそう。
葡萄溝
トルファンから東北へ11kmほどのところにある峡谷。
峡谷に流れる豊富な川の水と強い日差しのおかげで美味しい葡萄がたくさん取れる。
葡萄食べ放題という言葉につられて食べ過ぎた私は気持ち悪くなってしまった。
蘇公塔
ここはイスラム教を信仰するウイグル族や回族が礼拝に来るモスク(寺院)
千人以上を収容できる大きな寺院
ここでちょっとした騒ぎが起きた。ミニツアー参加者のニュージーランドの家族に一人小さな娘さんがいたのだが、 西洋人形のように可愛かったのだ。そこらじゅうにいた人民がその容貌に大騒ぎ!その娘と写真を撮らせてくれー っと長蛇の列、抱き上げたり肩車したりと大忙し!ツアーメンバーの私はこの家族と仲良くしていたのだが人民の一 見乱暴にも見える娘の扱いには気を揉んだのを覚えている。そしてあろうことか順番を待ちきれない人民が抱き上 げたその娘を取り合う、いや奪い合うという場面も出始めたのだ。初めは仕方なさそうに見ていたお母さんもさすが に見かねて娘を人民の手から取り返した。しかし、娘は娘で遊び回りたいらしく泣き叫んだ後に再び放された。暫らく すると再び人民が集まり始め娘と写真を撮り始め、そして再び奪い合いが始まった。もはやこれまで、とうとうお母さ
んは強行に娘を取り返したのだ。その後、お母さんに抱き上げた娘を貸してくれ、と人民が何度も呼びかけたがお母さんが娘を人民に手渡すことはなかった・・・。珍しい出会いとはいえ、よそ様の子供を奪い合うというその様子は私の目にも異様に映ったものでした。
とんだ災難にあったニュージーランドの一家
坎儿井(カーレーズとかカナートとも呼ばれるらしい)
中東からイスラム教とともに伝わったといわれるもので、天山山脈の雪解け水をオアシスに引き込む重要な水利施 設。現在でも活躍している重要な水源。ひんやりとした空気が心地よい!
交河故城跡
トルファンの市街から西へ約10kmほどの場所にある。やはり漢代から栄えた軍事的拠点だった要塞都市。
高昌故城と同じようにチンギス・ハーンの遠征で滅ぼされ廃墟となったとの事。
高昌故城よりは建造物跡の保存がいいらしい
交河故城はその名前の通り二つの渓谷に流れる河が交わっている台地にある天然の要塞!
他にも間も無く干上がってしまうと言われる塩湖アイディン(艾丁湖)等が見所なのだが
時間が無くて行けませんでした。
西北旅行<3>
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