三顧の礼・南陽編
(1)
96年夏・・・夏休みも残りあと数日となっていました。
残された時間を惜しみつつも、うだうだしていた私は年少の同学M君と一緒に過ごしていました。
嘉飛「よぉ、夏休み終わりだよなぁ。おれ帰国していたからどこも行ってないや。お前は?」
M君「聞かないでくださいよ。いつものことでず〜っと学校っすよ・・・」
嘉飛「手短な所へ安上がりな旅行でもしない?」
M君「いいですね。でも予算の関係で遠くまではいけませんよ・・・」
嘉飛「・・・よし、南陽にでも行って三国志関連の遺跡でも回ろうか?」
M君「いいですね。」
嘉飛「よし!決定!!出発は明日の朝としよう!」
こうして南陽への旅が決まったのであります。メンバーは私とM君ともう一人三国志好きのHさんの二男一女の三人でした。
その夜・・・翌日の南陽までの長い道のりを考えると憂鬱になる。クーラーの無い臭くて熱いバスの中・・・何とか逃避する方法は無いだろうか?・・・しばらく考えた後、私が導き出した一つの結論は・・・
長時間バスに揺られて暑さと戦うには寝るのが一番!
というわけで一睡もしないまま旅立ったのでした。
翌朝8時、時間もバスの運行状況もな〜んにも調べないでただ洛陽の長距離バス停に向い、
南陽行きの鈍行バスに乗りました。当時は今のように高速バスの数も少なく「乗れ」といわれたバスに乗り込んだのです。
南陽へ向かうのにはまず洛陽の町を南に抜け龍門石窟を右手に見ながら進みます。
現在は龍門石窟と言えば世界文化遺産登録の名門遺跡ですが、当時はまだ登録されておらず、
一時期客集めのために名前の「龍門」にちなんで石窟前に巨大な龍の彫刻を展示していました・・・。
はっきり言ってやりすぎだろう・・・とは思っていましたが案の定、世界遺産登録を前に取り壊されてしまいました・・・・。
さて、ここを過ぎると私も予定通りに眠りに入ります。他の二人をほったらかしにしての無責任な暑さからの逃避行です。
その間の記憶は断片的な景色と左頭部への小刻みな刺激・・・のみ。
途中、我が一行の乗るバスは汝州にて休憩時間をとり、ここでは羊肉湯(スープ)を食べました。
ゆっくりと南陽へと進むバスは時に込み合ったり、座席で横になれるくらいガラガラになったりと南に向かっていきました。
そんなのんびりとしたペースのバスが南陽に到着したのは午後4時半、実に8時間あまりを費やしてのバスの旅でした。
今では4時間あまりで洛陽南陽間を行き来できるようになったとの話ですから便利になったものです。
さて、南陽についた我々は宿を国際飯店に取るとゆっくりと過ごし、南陽でのメインディッシュ「武侯祠」は翌日に回ることとして
夜は屋台にて食事を取ったのでした。
さて・・・夜になると何故か頭痛を感じ始めました私・・・。これといって風邪の症状はないのですが妙にギリギリと痛みます。
痛みに耐えかねて薬を飲み風邪かもしれないとM,H両氏に訴えました。
「明日の武侯祠回りは大丈夫か・・・」
私の頭に発熱して苦しむ自分の姿が浮かびます。恥ずかしながら熱にめっぽう弱い私。
37度出ただけで弱音を吐く程の弱さなのです。
そんな私の心配をよそにM君が一言・・・
M君「もしかして頭の左側が痛くないですか?」
嘉飛「そういえば左側が痛いな・・・・」
M君「嘉飛さんここに来る途中バスでしこたま頭を窓ガラスにぶつけていましたよ。きっとそれが原因ですよ!」
ハッとする私・・・
蘇える断片的な記憶の中では揺れるバスの中で頭をぶつけ何度も目を覚ましては深い眠りに入る自分の姿・・・。
バスの熱さをしのぐための作戦が裏目に出たことを悟ったのでした。
翌日の南陽武侯祠参観を控えて、夜・・・三人で話し合う
嘉飛「ここまで来て洛陽に帰るなんてもったいなくねぇ?」
M,H「というと?」
嘉飛「せっかくここまで来たのだから、襄陽まで足を伸ばしてもう一つの武侯祠も回っていこうよ!」
M,H「でも学校が始まるから新学期の準備を始める約束が・・・」
嘉飛「大丈夫、大丈夫一日二日遅れたところで問題ないって・・・」
こうして私個人的な目的のために襄陽にある武侯祠参観に二人を巻き込んだのでした。